2011年7月31日日曜日

富士スピードウエイ、アメリカンフェスティバル




7月も今日で終わり、ひところの猛暑は去ってはっきりとしない天気が続いている。今日は年に一度のアメリカ車のお祭り、富士スピードウエイのアメリカンフェスティバルに出店してきた。1カ月前の石和温泉があまりに暑かったので熱中症対策ばかり考えていたが逆に半袖では寒いくらいの気温である。心配した雨は取り敢えず朝到着時には降り出しておらず場所も広いのでいつもより広めにスペースをとって商品を並べてみる。お客様の出足もマアマアでこれは今日は良いかなと思った9時半頃無情の雨が降り始めあわてて商品をテントの中にしまい込む羽目になった。その後も降ったりやんだりでその都度出したり入れたりとバタバタした。また出店料の安いスワップミートはメイン会場の下の駐車場でざっと見たところお客さんの数はメイン会場の1/10にも満たない感じである。もう少しお客さんが足を運んでくれるように考えてもらえるとありがたいのだが ---。 ただ当社の商品構成はこのイベントにぴったりの感じで周りのスワップミートのテントよりは明らかにお客様が多く、このコンディションの中ではなかなかの売れ行きだった。これならば来年はぜひメイン会場で勝負して見たいと思う。 ちなみに車の方であるがローダウンしたり多少(?)の改造車が多いのは予想どうりだったが中にはオリジナルを保った伸びやかなデザインの最後のフルサイズ70年代前半のエルドラードコンバーティブルやこれからレストアにかかるのか65年のポンティアックフルサイズ2ドア、最近はアメリカでも価格が高騰しているダッジチャレンジャーなどオッと思わせる車も多く出品されていた。レースコースのストレートでは日本で珍しい0-400mのドラッグレースが行われていたが雨が降り出すとその都度中断でちょっと盛り上がりに欠ける感じがした。真夏のアメリカ車の祭典はやっぱり暑くても青空が似合うようだ ---2週間後に迫ったアメリカ最大の古いアメリカ車の祭典、リノのホットオーガストはお天気の心配がないのがいい(何せ砂漠の真ん中、ここで雨を降らせる為には世界中の雨男と雨女を集めなければならない)。

2011年7月23日土曜日

ベンツおじさん?



今我が家に2台のベンツがある。 決して”FIATおじさん”が”ベンツおじさん”に宗旨替えしたわけではなくたまたま2台揃っただけである。大きいほうは73年の280S、たて目の後の通称ダブルバンパーのSクラスである。大きなボディに2800なので走りはあまり期待できないがカチッとした作りはさすがで40年近く前の車だがみしりとも言わない。考えてみると30年以上連れ添った我がFIAT850クーペとたった4年しか変わらないのだが各部の作りやボディ剛性など雲泥の差がある。もっともたった900ccの大衆車FIATとベンツのSクラスを比較すること自体フェアではないし何の意味もないことは十分承知している。この車は既に60-70年代のベンツ愛好家のもとに嫁ぐことが決まっていてもうすぐお別れである。
もう一台は2000年モデルのC200ワゴン、10万KMを少し超えているがすこぶる健康体、280Sと同じくこちらもこのボディに2000ccなので決してパワフルではないが日常の足として十分、ちょっと乗ってみたところオートマの設定など、ひょっとしたら日本向けの設定になっているのかな、と思うほどマイルドな味付けで以前のベンツのオートマのように高回転まで引っ張るようなところは全くない。何といっても素晴らしいのはボディ剛性とドアの立てつけで長年やわなイタリア車、フランス車ばかり乗り継いできたFIATおじさんにはこれだけでなんだか得をしたように感じる。 この車はしばらく我が家の足として使おうかと思っている。


2011年7月20日水曜日

え、ここはぺブルビーチ!?



猛烈に暑かった先週の日曜日、武蔵野の面影残る吉祥寺の某所にて素晴らしい車を拝見する機会を得た。有名な車なのでご存知の方も多かろうと思うし筆者自身もこのロールスはレストア途中を含め何度か拝見したことがあるが見事に仕上がった実車をじっくりと拝見出来たのは嬉しかった。その凛としたたたずまいから想像できないかもしれないがボディは何とグラスファイバー製であり、老(?)プロフェッサーが30年の年月をかけて自ら図面を引いて製作されたとてつもない力作である。それにしても見事なプロポーションと美しい色合いは何ともいえず素晴らしい。残念ながらその素晴らしさをうまく表せる言葉を見つけられない自分が悔しい。 加えてプロフェッサーのスタイリッシュなこと、多分70代も半ばではと思うが背筋をぴんと伸ばして本当にかっこいい。ああいうふうに歳を重ねたいと本心から思えた。たった1台の車を見せてもらっただけなのにとっても幸せな気持ちになった日曜の午後だった。

2011年7月12日火曜日

Good Bye FIAT850 Spider




10数年連れ添ったFIAT850スパイダーが関西愛好家のもとに嫁ぐことになった事は先日書いたがついにその日がやってきた。 お別れの晴れ舞台に京都高雄のサンデーミーティングに参加してーーと気楽な気持ちで書いてしまったのでいまさら暑いのでヤーメタはかっこ悪い(誰も文句を言う人はいないが自分の心情として許されない)。具合の悪い(?)事に梅雨が思ったより早く明けたようで冒険旅行にはもってこいの炎天下、前日になってまたまたブレーキが張りつき気味になったので大事をとってマスターシリンダーとフロントディスクブレーキのオーバーホールを決行、夜10時前にやっと作業完了で、早く寝て早朝出発の計画は早くも頓挫してしまい朝9時半ごろに出発となった。意外と快調でたいしたトラブルもなく愛知県の美合パーキングまで一気に走破、なぜ美合かというとここには東名で唯一マクドナルドがあり今なら¥100でコーラのLサイズが手に入のである。話を850スパイダーに戻すと、快調とは書いたが水温計がじわじわと上がってくる。100度少し手前で持ちこたえているのでオーバーヒートまでは行かないが気持ちが悪い。本来この車はオーバーヒートには強く長い上り坂でもない限り水温は80度で安定しているはずである。食事の後ラジエターを開けてみるとなんと水が1リッター以上入るではないか。どうも前日安全の為に取り換えたロック付きのラジエターキャップの調子が良くなく圧がかからないので比較的低温で沸いてしまうようで以後100-150Kmごとに水を補給する羽目になった。問題は午後の部で気温が急速に上がり人間の方がオーバーヒート寸前になってきた。暑いので手を外に出すがそうするとひりひり焼けてくる。暑さ対策に持ってきた保冷剤も、首に巻く凍ったテープも当の昔にただの温かい邪魔物と化し滋賀県に入るころには意識もうろうとしてくる。最後の頑張りで琵琶湖畔の今宵の宿にたどり着いた時には疲労困ぱい、冷たい水のシャワーを浴びて体温を下げ麦を原料とした栄養剤をたっぷりと胃に流し込むとやっと元気が戻った。早い話、熱中症寸前だったようである。翌日は朝8時過ぎに出発、無事9時には高雄に到着、京の暑さはまた格別で午前中の早い時間にもかかわらず早くも陽炎が立っているがその中、850よりももっとつらそうな車がいるわいるわ、みなさんほんとうにご苦労様です。本当に行ってきた証拠写真をアップしておきます。11時前に失礼して午後には無事大阪の新しいオーナーのもとにスパイダーを届けることが出来た。冒険旅行バンザーイ!!もう2度とやりたくない、といまは思うのだがこれが不思議、しばらくすると次の計画を立て始めるーーーそうつらいことの方が思い出に残るものなのである。 

2011年7月7日木曜日

今日は七夕、そして小暑

今日は24節気の一つ、小暑、本格的な暑さが始まる時期だそうである。それにしても今年の関東地方の暑さは一体どうしたものだろう? 今日は朝から曇っていて暑さも一休みしそうであるが6月末の連日の猛暑日にボーとした頭でこの先一体どうなるんだろうといささか不安にもなった。アメリカの砂漠で夏場40度+の炎天下、何度もゴルフをやったがこんな気分は味わったことがない。思うに日本の、特に6月の暑さは湿度との組み合わせがいけないのだろうと思う。生き物は発汗によって体温を調節するそうであるが年をとってくるとその機能が弱まってくるそうで、加えて高湿度で汗をかきにくくなり結果的に体温調節が進まず体がオーバーヒートして熱中症になるんだとか、そういえば砂漠のゴルフでは飲んでも飲んでも水分が欲しくなるが汗は一瞬で乾いてしまうのか皮膚はサラッとしていて終了後は(体中の老廃物が入れ替わるのか)爽快感が残り頭がボーとしている、と言うのはあまり経験しない。それと砂漠で昼と夜の気温差が大きく昼暑くとも夜は涼しいくらいに気温が下がり救われる。

もうひとつ季節の話題、今日は七夕、織姫と彦星が年に一度会える日であるが毎年この日は雨の特異日と言いたいほど雨が多い。ちなみに小暑と七夕は本来異なる物差しでの話であって小暑は旧暦、七夕は新暦での話である。なぜ七夕を新暦で祝うようになったかは知らないが本来の旧暦であればもう少し天候も安定し天の川の両側に織姫と彦星がはっきりと見えるそうである。

2011年7月6日水曜日

ワークスラリーカー(?)参上



先週金曜日、忘れていた青春がよみがえる来客があった。 18歳で初めて生まれ育った和歌山を離れて静岡へ、そこで出会ったラリーに心を奪われ以後5-6年の間、明けても暮れてもラリーのことを考えていた。あるクラブの中級から上級クラスのラリーのコース作りやオフィシャルを数多くやらせてもらった関係で練習量だけは人様以上、声をかけてくれる方も何人かおり510や110,210サニーなどで多くのイベントに出ていた。今考えればチャンスは多くあったが如何せん才能なし、銀行預金なし(これがものを言うのは他のモータースポーツと同じ)、体力なし(ラリーは体力勝負です)の三重苦に勝てずローカルラリーでは何度か優勝はしたもののいわゆる全日本クラスでは成績はいま一だった。そこで出会ったトップドライバーの鮮やかな走りは今も脳裏に焼き付いて離れない。 金曜日突然現れたラリーカーは我々の時代からは数世代後でターボと4WDで武装したハイパーモデルだがそこは同じラリーフィールド生まれ、ちょっとコックピットに座らせてもらったら俄然やる気がわいてきた。数々の名勝負の舞台となった峠も今は舗装されてしまったり廃道になったりで昔の面影はないかもしれないが幸い我が家にいくつかのラリーのコース図が残されているのでこうしたコースをいずれ(出来れば510か何かで)たどってみたいと思う。

2011年7月4日月曜日

4th of July に想う


今日は 4th of July、アメリカの独立記念日である。 33年前、ふとしたきっかけでアメリカの会社に職を得て初めてアメリカの土を踏んだのが1978年の6月の後半、ベトナム戦争の後遺症で傷つき一方自動車業界では日本車の輸出の急増が問題になり始めた時期、しかしまだ豊かでおおらかなアメリカが残っていた良い時代だった。独立記念日のこの日、オハイオ州トレドのがらんとしたホテルのレストランで一人お気に入りのミカロフドラフトを飲みながら大好きなアメリカの誕生日を祝ったのをつい昨日のように思い出す。このホテルのレストランには古い写真が何枚も飾られていたがそのうちの2-3枚にコモドールペリー、つまり日本開港のキーパーソン、あのぺリー提督の写真があった。どうやらぺリーさんは南北戦争か何かの英雄でもあったらしく我々日本人にはなじみの名前とこんな田舎町で遭遇したのがうれしかった。
挿入した写真は独立記念日とは何の関係もないが私の好きな古いアメリカ車のイベント、ネバダ州リノのホットオーガストナイトで10年ほど前に取ったものである。約5000台(!!)の古いアメリカ車が全米から集まり1週間リノの町は50-60年代にタイムスリップしたようになる。西部のこのあたりは開拓されてからまだほんの100年ちょっと、歴史の短いアメリカ故歴史をより大切にするのかも知れない。
今年のホットオーガストナイトは8月8日から始まり14日の日曜日のフェアウエルパレードで終了する。出来れば是非出かけてみたいと思っている。

2011年7月3日日曜日

夏の石和は暑かった!!


7月2日(土)、石和温泉スコレーセンターで行われた第1回笛吹クラシックカーフェスティバルに出店した。本来おもちゃやアンティークはエアコンの効いた屋内会場に出店するのだが申し込みをしたのが締め切り後で屋内会場はすでに満杯、屋外で土曜日だけならOKとのことなので(雨は心配したが暑さのことはあまり考えずに)出店のお願いをした。高名なる天気予報のMおじさんによれば前日の夜まで明日の山梨は”曇り一時雨”だったのでそれでは曇りでちょうど良いぐらいにコントロールしましょう、とテルテル坊主を2-3個セットしたらどうしたわけかこれが効きすぎたらしく、朝起きてみたら雲ひとつない晴天、アルファサウンドを快調に響かして現地到着の頃(AM7時30分ごろ)にはもう地面から猛烈な照り返し!!おいおい天気予報おじさん、どうしてくれるの!? 娘一家の手伝いを得てお店セットアップ完了時には推定体感気温早くも30度突破、はたして人間が夕方まで持つかどうかの真夏の耐久試験と相成った。それでもおかげさまで売れ行きはまあまあで古い鉄道模型や補助ランプが売れていった。肝心の古い車はどうだったかと言うと割と面白い車が集まっていたように思う。中にはシムカ1200クーペやメッサー、BMWイセッタなどのレア車も。ところでこの炎天下、エアコンなどとはおよそ縁の無いこうした車で果敢にパレードに参加するオーナー(大半は車と同じかそれ以上のおん年と拝見した)の心意気やさすがである。メッサーのオーナーの一人は屋根にすだれを付けていたがこれがなかなかオシャレだった(もっともドライバーシートの上だけでかわいそうな後席の住人はぎらぎらの太陽にさらされていたが)。時々交代でエアコンの効いた屋内に避難して鋭気を回復しながらそれでも4時半頃まで頑張った。体中の老廃物がすべて入れ替わったのか(早い話が一日サウナにいたようなもので)意外とすっきりした気分で帰路に着く事が出来終わってみれば楽しい一日だった。

2011年7月1日金曜日

えっ、カフェジュリアが閉店!?

昨日悲しいニュースが目に飛び込んできた。 

FIAT850スパイダーの調子がよさそうなのでテストメニューの最後の関門として箱根山のぼりに挑戦しようと思い、いつものとおりカフェジュリアに寄るべく、軽い気持ちでお休みの確認をしようとパソコンを開けてみたら最初に飛び込んできたのが”カフェジュリア閉店、4月9,10日が最終営業日!!”、悪い冗談であってほしいと祈りながら記事を読んでいくと残念ながら箱根のあのジュリアに違いなさそう、なぜ!! いつ行ってもお客さんで一杯でなるべく営業の邪魔にならないようにお昼の時間を少しずらしてお邪魔するのが常だったのに、古い車が売れるといつも最後のドライブでお邪魔をしてしばし車談義を楽しんだのに!!! 
閉店に至った経緯はもちろん知る由もないが閉店を決意されたオーナー氏の心情は察するに余りある。またどこかのイベントでお目にかかれる日を楽しみにしています。