2010年4月24日土曜日

昔の広告(その2)

昨日は一世紀近くも前のプラグの広告のお話でしたが今日はもうちょっと新しいところで興味深い広告を一つ。
この広告は1966年(だったと思います、違っていたらゴメンなさい)にフオードの純正プラグを供給していた Autolite がルマンで1,2,3を決めた後出稿したもの、$100,000の Ford GTを作るにあたってプラグを特にケチるつもりはなかったので(?)$1なりの Autolite プラグを手に入れたとあります。 ちょっとわかりずらい英文ですがたぶん$100,000の高価な車ですが僅か$1のプラグもおろそかに出来ないので Autolite を指定したと言いたかったのだと思います。
それにしても Ford GT Mk II が僅か$100,000とは安いですね。プラグの$1は今とそんなに変わらないのですが(アメリカ市場では標準のプラグは$1そこそこで手に入ります)。 この当時レース用プラグの定番はチャンピオンだったのですが昨日もお話したような事情によりフオードのワークスカー(ディトナコブラも含めて)はもしプラグスポンサーのステッカーを張るならチャンピオンではなくオートライト を貼っていたようです。

2010年4月23日金曜日

昔の広告

我が家に古いチャンピオンプラグの広告のコレクションがあります。 今日はその中から最も古いもの2点をご紹介したいと思います。
チャンピオンプラグの創業は1907年、事業が軌道に乗り生産規模が飛躍的に伸びたのは1911年にT型フオードに純正採用されて以降です。Ⅰ913-14年頃には広告を開始しているようですが手元にあるオリジナルの広告で最も古いと考えられる1916年です。左側の写真がそうですが残念なのはこの1916年バージョンはサイズが小さく掲載年月が広告上にない事です。内容から判断して1910年代中頃であることは間違いないのですが。

掲載年月がはっきりしていて最も古いものは1919年
3月にChristian Herald に掲載されたもので右2枚の写真がそうです。
いずれの広告もチャンピオンのインシュレーター(碍子)がいかに優れているかをPRしています。
チャンピオン創業の地はアメリカオハイオ州トレドというデトロイトから南に車で1時間程度のところで、ここには今でも研究所が残っています(工場は10数年前に閉鎖されました)。 このT型フオードに使われたプラグがチャンピオン”X” というタイプでT型フオードの生産拡大とともに需要が飛躍的に伸びチャンピオンを世界一のプラグメーカーに発展させる基礎となった名作プラグでなんと現在でも(多数生き残っているT型フオードの為に)限定生産されています。この後チャンピオンとフオードの蜜月は1961年まで続きその間に生産されたすべてのフオードの純正プラグがチャンピオンでした。
それがなぜ突然1961年に終焉を迎えたかについてはいずれ機会があればお話ししたいと思います。

2010年4月22日木曜日

ルノーツインゴと遊ぶ

我が家に可愛いツインゴがやってきてからもうすぐ2年、 愛くるしい顔、広い室内、(ヨーロッパ製の古い小型車としては?)トラブルフリーで奥方の普段の足として農耕車よろしく大活躍しています。そんなある日、突然ゴールドの兄弟が訪ねて来てくれました。そこで例によってツーショット。 2台ともに例のイージードライブ、いわゆるノークラッチバージョンです。トラブルを心配する方も多いようですが我が家のイージー君はいたって快調、イージーに走り回っています。この初代ツインゴ、デビューは92-93年頃と記憶しています。1200ccのOHVで当時フランスモーターにより思い切った低価格で輸入され可愛いスタイルと相まってかなりの人気者でした。 クラスから言うとサンク・ルーテシアの下になるのでしょうか? ということはちょっとイメージは違いますがキャトル(4)の後継車とも考えられますね。どうです2台並ぶと可愛いでしょう? 先日も似たような事を書きましたが車のデザインと言うのは本当に大切だと思います。何せこんな大きなものがそこらじゅう走り回る訳ですからやはり人々を魅了するような美しい、あるいはホッとさせるような愛くるしいデザインであってほしいと思います。ところでFIATおじさんとツインゴを結びつけるお話を一つ、 FIATが現パンダを登場させる際当初GINGOという名を予定していたらしいのですが発音がツインゴと紛らわしいとクレームが付いて結局パンダの名前をそのまま継承することになったのだとか。真偽のほどは知りませんがFIATに忠誠を誓っている(?)わが身としてはちょっと気になるお話ではあります。

2010年4月19日月曜日

商品リストをアップデイトしました

アメリカからいくつか新らしい(?)アンティーク商材が入荷し商品リストを久々にアップデートしました。昨日紹介した1959年オールズもその一つなのですがこれはあっという間に売れてしまいました。うれしいような寂しいような心境です。実はまだまだいろいろとあるのですが写真を撮って、解説を書いて --- となかなかこれが面倒でペースが上がりません。 ぼちぼち頑張っていきますのでときどき覗いてみてください。
写真の無いブログだと面白くないのでもう一点60年代のディーラープロモカーを紹介します。
これはアメリカの Hubley というメーカーが西ドイツダイムラーベンツのライセンスを得て製作した1958-63年式300SLロードスター、当時のアメリカではこんなスーパースポーツまでプロモカーを製作していたのですね。この Hubley というメーカーはどうやら輸入車のインポーターを中心にセールス活動を展開していたようで他にもRRシルバークラウドやトライアンフTR3、ルノードーフィンなどのプロモカーを製作しています

2010年4月17日土曜日

1960年代のアメリカのディーラープロモ、モデルカー

最近60年代のアメリカのディーラープロモ、モデルカーにハマっています。プロモカーとはアメリカのディーラーが毎年新車の販売促進の為にJOーHANやAMTなどのミニカーメーカーに作らせて配ったプラモデルのこと。基本的にプロモーション用にタダで配ることを前提にしているのでプラスチック(古いモデルはシャシーが金属製の物も多い)の安価なモデルでドア、ボンネット等も開閉しませんがなんといってもその年のみしか作られていない限定版なのが売りです。多くはナンバープレートに年式が表示されています。しかもこれがわが青春時代の50年代後半から60年代モデルともなれば既に誕生以来50年、まだプラスチックの品質も良くないため日の当る所に展示されていたものでは捻じれや変形が出ているものが多いのですが長年の歳月が醸し出す独特の雰囲気はレプリカモデルでは絶対に表すことのできない貴重なもので毎日飽きずに眺めては思わずニヤッとしています。左の写真は60年のフオードファルコンとシボレーコルベアのツーショット、コンパクトカーブームが全米に巻き起こった頃です。右の写真はこれと対照的なテールフィン全盛期の59年オールズモビル98ホリデイセダン(当時オールズは4ドアハードトップをホリデイセダンと呼んでいたと思います)。 どうです、いい雰囲気でしょう?

2010年4月16日金曜日

晴耕雨読(?)

水曜日は春らしい暖かいお天気に恵まれ久しぶりにゴルフを楽しみましたが昨日(木)は一転、冷たい雨の一日となりました。 天気予報では今日も一日真冬並みの寒さだとか。ありがたい事にガレージにはちゃんと屋根があるのですがそれでもこんな日は車をいじる気にもならず、それではと引っ張り出してきたのが古いラリーの記録。 最初に登場するのは当時のハイスピードラリーの頂点にあったツールドニッポンの昭和45年(1970)第5回の特別規則書と競技結果、そしてSSの開催場所。 少し小さい字で申し訳ないのですが優勝はトヨタワークスの平田篤介選手のマークIIGSS,二位に三菱ワークスの篠塚選手が入っています。その他上位には岩下、柑本、綾部、それにSS男の異名をとる横山文一などそうそうたる顔ぶれが並んで
います。 我が師匠の村手さんも14位に登場しています。さてFIATおじさんの名前は? 残念ながら当時の私、ローカルラリーでは練習量が利いてシードの上位に居ましたがいかんせん、運動神経ゼロ、体力常人の半分、資金力なし、の三重苦、あるのは時間だけといった状態でこうしたトップラリーはあこがれの存在でした(それでも全日本クラスのラリーに何度か挑戦する機会はありましたがどこかで5位に入ったのが最高でした)。 3枚目の写真の右下に当時のSSの場所が公開されています。 高峰、湯の丸、聖高原、武石、そして最後は浅間と当時のラリーファンには聞くだけで涙ものの ロマンチックな名前です。いつか(出来ればレストアした510あたりのラリーカーで)このルートを再度たどってみたいなと考えています(もっとも全部舗装されてしまっているとは思いますが)。
夢多き良き時代でした

2010年4月15日木曜日

ADO 16 のツーショット

またまた我が家に珍しいお客さんです。 

バンプラに代表される(この表現おかしいですね? バンプラはこのシリーズではどちらかというと異端児だったはず)名車ADO16は良く知られていますがその中で英国では主力車種でしたが日本では極めて珍しいモーリス1300、しかもなんとオートマチックトランスミッションの個体が訪ねてくれました。
早速友人からお預かりしているバンプラ号を引っ張り出して恒例のツーショット。

後の日本車の得意技であるバッジエンジニアリングはこの頃のBMCが編み出したのでしょうか、ミニ共々基本のオースチン、モーリスに加え、スポーツタイプのMG,おとなしい高級車のウーズレー、高級かつスポーティーなライレー、それに小型のロールスたるバンプラ等々、多彩なモデルがあったのを思い出します。
広い室内、快適な乗り心地に加え、実に気持ち良く吹けるA型エンジン、いい車です。 それに前からみても、後ろから眺めても心の温まる素晴らしいデザインです。これと比べると最近の何だか目のつりあがったデザインの車たちが哀れに思えてきます。車だって穏やかにほほ笑んだ、或いは凛とした姿でいたいのではないかと思ってしまいます。
ちなみにこの車のオーナーは茅ヶ崎でべスパの専門店(!!)をやっておられるO氏、
古いべスパのレストアも手掛けておられる
そうです。
この後、近くの古い英国車の駆け込み寺、QEDの鈴木さんのところを訪ねて当時のADO16のカタログなどの貴重品を見せていただきとっても楽しく充実した春の午後でした

2010年4月13日火曜日

JCCAの富士クラシックカージャンボリーに出店しました

4月11日の日曜日、富士スピードウエイで行われたクラシックカージャンボリー、個人スワップミートに出店してきました。 日ごろの行いの良さ故か(?)曇りのち雨の天気予報は見事に外れ、一日中快適な天候で売れ行きも好調でした。 レースファンの方は少なくとも一度や二度は経験されていると思いますが、ここ富士は雨が降ると想像を絶する寒さとなりとても出店どころではなくなるのです。 こうして出店しているとうれしい事は知り合いの方が大勢訪ねてくれること、今回もなんと以前私が持っていた1980年カマロZ28を購入されてしばらく乗っていたよ(!!)という方が訪ねてくださいました。気持ち良く走るとそれこそ燃料系の針が下がってゆくのが目で見えるほどの大食漢で維持できなくって手放してしまいましたが後で一番後悔している車です。今も元気で中部地方で余生を過ごしているとお伺いしてうれしくて涙ものでした。
うれしかった事もう一つ、TACS(SCCJの前身)の創設者にして前会長の鈴木昭吾さんが(なんと御年89歳にして)お元気でお立ち寄りいただいたことです。今の日本の古い車文化を広げる先駆けとなった方、そして古いラリー愛好者にとってはTACSクローバーラリーの競技長として忘れる事の出来ない大先輩です。いつまでもお元気でご指導いただきたいものです。

つぎは4月29日に横浜の産業貿易センターで行われるおもちゃのワンダーランドに出店の予定です。ぜひお立ち寄りください。

2010年4月7日水曜日

賓客とお花見

遅れていた我が家の桜も先日やっと満開になり“桜大好き人間”のFIATおじさんは毎日飽きずに眺めては楽しんでいます。 そんなある日、部屋にいると突然素晴らしいエキゾーストサウンドが聞こえこれは何事かとあわてて外を見るとなんとアストンマーティンDB6の姿が --- !!   夢多き青春時代と違って(歳のせいか)少々の珍しい車を見てもあまり感激しなくなった昨今ですがさすがクラシックアストンが予告なく我が家の庭に現れたとあっては感激するなと言う方が無理、あわててEタイプを引っ張り出して桜の下でツーショットを決めました。
それにしてもさすが高貴な車、あれほど押し出しの強いEタイプもいささか居場所がなくて気まずい思いをしているように見えます。 この方、先日もアストンのDBS V8に乗って見えたのですが我々の年代にはやはりDB4-DB6が本当のアストンなのです。
春の午後、ちょっとだけイギリスの貴族になったような夢を見た幸せなひと時でした。


ちなみにこのあたりの桜は満開をすぎてしまいました。 今年お花見が出来なかった方、このあと一週間以内のお薦めは御殿場でしょうか? インターのすぐ近く、二の岡あたりやスピードウェイの近くの富士霊園の桜が見事です。 2週間後あたりにはちょっと足を延ばして信州、高遠の桜が満開となると思います。40年ほど前、ラリーのコース作りを一生懸命やっていたころ今は冥界に旅立たれた静岡の村手さんと満開の高遠の桜を見る機会がありあまりの見事さに大感激したのを今もはっきりと覚えています。最近は東京、横浜あたりからもツアーバスが出ているようです。まだご覧になったことの無い方、一見の価値あること保証します。