2010年6月30日水曜日

六本木のカローラ(?) BMW320i が入庫しました


プジョー309に続いて今度は2000年モデルのE46 BMW320i が入庫しました。 オシャレで気ままなフランス娘とは180度異なりいかにもドイツ的で真面目に(決してプジョーが不真面目に作ってあると言うつもりはありませんが)きっちりとそしてオーソドックスに作られたセダンです。10年落ち、86,000KMの個体ですがそこはさすがドイツ車、ボディはことりともせず足回りもピシッと決まっていて安心感抜群、それに何と言っても定評のストレート6のスムースな感触はさすが、やはり5気筒やV6を無理やりバランサーでなだめながら回しているよりは理論的にもきっちりとバランスしたストレート6に分があるのでしょう。それにこの車、内装やスタイルはセクシーさとは無縁ですがあるべきものがきっちりあるべきところにあって家にやってきたすぐその時からまるで長年生活を共にしている車のように自然に運転できる模範的実用車を言うことが分かりました。一頃六本木のカローラとか目をつぶって石を投げればBMに当たる、などと揶揄されましたがなるほどこれはカローラのドイツ版かもしれません。 車検が来年の3月まであり、H22年度の税金その他すべて込みで43万、どなたか興味のある方おられませんか?

2010年6月23日水曜日

プジョー309の車検無事取得しました

縁あって我が家に戻ってきたプジョー309、何となく最新型の3シリーズの様なネーミングですが実は既に20年近く前のモデル、205の4ドアバージョンです。なぜこのモデルだけ突然309という突然変異的名前になったかについては謎ですが現行モデルも既に308まで来てしまいました。次はどうするんでしょうと余計な心配をしてしまいます。
極めて珍しい309の中でも我が家のモデルは”ブラン”と言う女性向けに白に塗られた極めて珍しいモデルです。フレンチブルーにも毎年出かけていますが同型車にはついぞお目にかかったことがありません。西部による正規輸入車ですがひょっとしたら日本に生き残っているのはこれ1台かもしれません。 右ヘッドライトの上下角度調整が壊れていたり、リアブレーキの効きが弱かったりと多少手こずりましたが古い車の車検については百戦錬磨のテクニックで無事合格しました。あとは多少のお化粧直しをして、クーラーのガスを入れれば十分実用になる(日本に1台かもしれない?)超希少車の誕生です。車検2年付いて、諸経費、H22年度の税金まで全て込みで26万、どなたか引き受けていただける方はおられませんでしょうか?  

2010年6月18日金曜日

1913年 (!!) のChampion Spark Plug

先日E-Bayでお宝(と言っても興味のある人にとってのお話ですが)を発見しました。 1913年のSaturday Evening Postに掲載された Champion Plug の広告と、ほぼ時を同じくしてなんとそのスパークプラグその物がオーストラリアからオークションに出品されたのです。広告の方は”Buy it Now”で即落札、問題はスパークプラグの方でこちらは人気の Priming Type と呼ばれるガソリンをダイレクトに燃焼室に入れる筒の付いたタイプでかなりの入札がありそうです。ちなみにこの Priming Type プラグは1912年のChampion 特許ですがいわばダイレクトインジェクションの当時版と言ったところでしょうか、1930年代まで使われてその後姿を消してしまいましたのでエンジンが進化するにつれ必要が無くなったのでしょう。 このタイプのプラグはコレクションに1本持っていますがそれよりはるかに古いタイプでこれを逃す訳にはいきません。久々に興奮したオークションでした。 清水の舞台から飛び降りるつもりでかなりの余裕をもったMax Bid を設定、終了3秒前に祈る気持ちで確認ボタンを押して待つことしばし(と言っても1,2秒ですがこれが長く感じるのです). やったー!!、無事落札、年をとってくると物事に感激しなくなってくるのですが久々に“生きてて良かった“レベルの感激(ちとオーバーですが)を味わいました。 写真の右側が従来から持っている1920年代の Priming Type, 左側が今回手に入れた1910年代の物です。ちなみにチャンピオンは1907年創業、T型フオードの純正プラグに採用されて爆発的に売り上げを伸ばし始めたのが1910年代前半、一般紙に広告を出し始めたのは1912-1913年頃ですのでこの広告は最初期の物と思われます。 媒体のSaturday Evening Post との蜜月関係はその後1960年代まで続きおびただしい数の広告が掲載され今もコレクターズアイテムになっています。 

2010年6月15日火曜日

名古屋ノスタルジックカーショーに出店してきました。

前回お伝えしたように6月12,13の両日名古屋で開かれたノスタルジックカーショーのトイワールド(と言ってもワタクシメの戸井ではなくおもちゃのトイです)に出店してきました。 ずいぶん遠くまでと思われるかもしれませんが我が家からは渋滞がなければ2時間半の距離(ただし週末は走るシケインをかき分けつつ障害物競走を覚悟しなければなりません)、1000円高速を利用すれば東京に出店するのと大して変わらないのです。会場は名古屋ポートメッセ、名古屋湾岸線の名港インターを出て1分の最高の立地、6時に家を出たら8時40分には会場内に居ました。 ”アンティーク屋のおやじ業”も回を重ねるごとに要領が良くなり、また顔なじみの先輩たちも増えてきて挨拶をしながら1時間弱でセットアップ完了、朝の内は動きが鈍かったのですが昼頃からお客様が増え、売れ始めました。 レース場はともかく、こうした都会での出店の場合、特に奥方が出しているアメリカのエコバッグが好評のようで今回もかなりの数が売れました。社名もOTオートモビリアよりもOTエコバッグワールドか何かの方が良いかも? お隣の静岡のアンティークトイのお店のおじさんも、これ(エコバッグのことです)いけるねー(!!)としきりと感心していました。おかげさまで2日間で新記録の売り上げを達成(と言ってもまだまだささやかな売り上げですが)、充実感一杯で会場を後にしました。写真は今回真っ先に売れてしまった1949年(!!)オリジナルのプロモカー、アメリカNational 製のビュイックです。本当はこれは売れて欲しくなかった(??)のですが。 買って行かれた方、大切にしてくださいね。
帰りの東名でお薦めのお食事処を一つご紹介します。 愛知県の東の端、新城のパーキングにあるカレーショップ、カレーの一番館か何かの直営のようですが(違っていたらゴメンなさい)、ここのカツカレーがお薦め。 ¥700なりで注文するとその場で立派なとんかつを5分かけて揚げてくれます。カレーはマイルド、中辛、激辛からチョイス、これで¥700は申し訳ないような安さ、味の方も保証します。西の方にお出かけの際はぜひお試しください。

2010年6月10日木曜日

6月12,13日名古屋ノスタルジックカーショーに出店します

今週の週末(6月12,13日)2日連続で名古屋のノスタルジックカーショーに出店することになりました。初めての出店で様子は良く解らないのですがモデルカーコーナーの一角だそうです。50-60年代のプロモカー、同時代を中心とした古いサインボード、それにアンティーク雑貨少々とアメリカ西海岸のスーパーマーケットのエコバッグ各種が出店の中心となります。名古屋ノスタルジックカーにお出かけの方がおられましたらぜひお立ち寄りください。

2010年6月8日火曜日

ホームページのユースドカーのページをリニューアルしました

前回書きましたように我が家に居候している車の数を少し減らすことを決心、その最大の目玉が E タイプですが他にもMGミジェットやFIAT850スパイダーを考えています。 それと最近里帰りしてきた非常に珍しいプジョー309ブランもあります。 と言う訳で長くアップデイトしていなかったユースドカーのコーナーをリニューアルしました。もしご興味のある車がありましたら遠慮なくご一報ください。

決心しました

ここ数日間、悩んでいたことがありましたが6日の日曜日についに決心しました。
そうです、私のところにやって来て2年余り苦楽を共にしたE タイプを今回SHCCのジムカーナがE タイプをフィーチャーすると言うのでこれを花道に手放すことに決めたのです。 私の年代の車好きに取ってE タイプは300SLと並んで世界最高のスポーツカーとして夢のまた夢の存在、そんなE タイプがふとしたことから2年と数か月前のある日我が家のガレージにやってきたのです。その後すぐネコのジャパンヒストリックに参戦、無事完走し昨年は生まれ故郷の和歌山のエッセレバンビーノに東名の集中工事の中,自走で参加これも無事完走、地元SHCCのラリーは常連でした。中々タフな車で細かいトラブルはありましたがこの間大きなトラブルは皆無、楽しい思い出だけが残っています。 そんな車をなぜ手放すのかって??
理由は単純でお金と時間の両方です。 サラリーマン卒業後始めた Automobilia のビジネスはお蔭さまでなかなか好調でこの分野にもう少し投資をしてみたくなったのが一つ、もう一つはブログの最初にも書きましたが限られた時間との闘いです。リタイアしたら少しは暇になるかと思いきや(ありがたい事に)毎日猛烈に忙しくお蔭でアバルトも、FIAT850もほとんど何も手をかけていない状態が続いています。そこで車の台数を大幅に減らす決心をした訳ですがかといって長年連れ添ったアバルトや850クーペは手放す訳にいかず(FIATおじさんというペンネームもあり)それで消去法で“グッドバイ E タイプ”と成らざるを得なかったという訳です。
先日のSHCCジムカーナの会場で早速”For Sale"の広告を掲げたところ何人かの方の興味を持っていただけたようです。読者の方でもしご興味のある方がおられましたらぜひご連絡ください。

2010年6月7日月曜日

アメリカにアンティークの買い付けに行ってきました(最終回)


アメリカの旅も終りに近づいてきました。最終回はラスベガスからアナハイム経由でサンディエゴまで600KM程の道程です。 べガスからアナハイムまでは約4時間、途中2時間あたりまでは相変わらずの砂漠風景で数十キロ毎に小さなオアシスの町が現れますがその後は急に交通量が増え、周りの景色もだんだんと緑が増えてきます。 少し行くとパームスプリングスやリバーサイドと言ったちょっと郷愁をそそる名前のサインボードが現れてきます。そんな田舎町のバーガーキングでランチ、外の空気が気持ちが良いので車に戻ってバーガーをかじっていると周りにポテトをねだるリスたちが遊びにやってきました。アメリカ人に言わせると人の数よりリスの数の方が絶対に多いそうですが本当に砂漠の中でも、ゴルフ場はもちろん、街中でもどこに行ってもリスを見かけます。ハンバーガー屋さんの近くにいるリスはさすがに栄養が良いのか丸々と太っていて少しダイエットが必要なようです。あんまり食べ物を与えるといけないんだろうなと思いつつ、ついかわいくてポテトをあげると喜んで取りに来ます。 昼食後ひと眠りしてかららラストスパート、午後3時前にはお目当てのアナハイム、ホビーシティに到着、この中の一件が模型ショップです。自動車が中心ですが最近人気の鉄道や航空機も少しありました。もちろん最近のアメリカのモデルが多いのですが一角には古いモデルやヨーロッパのミニカー、日本製の古いプラモデルなどが所狭しと置かれています。 中にはスーパーディスカウント品も多くあり思わず財布のひもが緩んでしまいます(財布だけでなくどうやって持って帰るかという大問題もあります)。写真のモデルは比較的最近のフランクリンミントの57年プリムスフュリーですがこれもなぜか大バーゲンでゲットしました。唯お目当ての50-60年代のプロモカーはそんなに多くの在庫はなくこれと言った掘り出し物がなかったのは残念です。 私は古いプラモデルについては残念ながらそんなに知識はないのですがそのあたりに詳しい方でしたら行ってみる価値は十分にありそうです。 ちなみにここからすぐのところに車関係のモデルに強いアンティークショップがありそちらも寄ってみました。唯こちらも残念なことに50-60年代のプロモカーはちらほらでもう少し新しいモデルが中心のようでした(つまり自分の年代はもはやお店のターゲット購買層ではないということでしょうか!?)
最後の写真はこことは別のアンティークショップで見つけた60年代の Firestone のテーブルトップサイン、アメリカのサインにしては小柄で横幅で40cm程度、日本の部屋にもうまく置けるサイズです。たまにこういった優れものにもバーゲン価格で出会いますが一般的には偉大なるE-Bay Auctionの影響でしょう、もはやアメリカのアンティークショップで掘り出し物を見つけるのは容易ではないようです。E-Bayにより全体的な相場が形成されたのは良い事なのでしょうが、反面何かを見つける興奮や楽しみが無くなった(もちろんE-Bay上ではそれでもたまにサプライズがありますが)のはさびしい事です。なんだかんだでそれでも車一杯の荷物となって最終目的地のサンディエゴに向かいました。最後に教訓を一つ --- アメリカのショッピングで気を付けることはとにかくパッケージが大きいということです。 アメリカの風景の中では気にならずついつい買ってしまうのですがいざスーツケースに入れようとするとこれが入らないということになりかねません. また最近は各エアラインの荷物の制限が厳しくエリートメンバーでない場合は1個20Kg以内、3個目は$150程度の別料金をとられますのでご注意を。

 

2010年6月3日木曜日

アメリカにアンティークの買い付けに行ってきました(その4)

砂漠の真ん中の町で気持ちの良い一夜を過ごしてふと気がつけば外にはもう紫外線をたっぷりと含んだ容赦ない砂漠の朝日が照りつけていました。 レストランで好物のアメリカンブラックファースト、渇いた喉に熱いコーヒーがたまらなくおいしいのです。 Two Egg Scramble とはいうもののどう見ても卵3-4個は使っているスクランブルがまた大変美味、唯一日本の方が美味いかなと思うのは食パン、大きいもの好きのアメリカ人なのになぜかトーストは薄くて小さくイマイチ、ついハッシュブラウンの方に手が伸びます。今日のルートは途中少し寄り道をして Death Valley 経由でラスベガスまで、あと500Km程度、途中小さな峠を越えて Valley に入ります。一枚目の写真が峠から遠くにDeath Valley を見た風景です。この Death Valley の真ん中に Furnace Creek と言うオアシスがありそこにもゴルフ場があります。Furnace とは炉のことで夏場の日中はそれこそ摂氏50度を超す場所です。家族連れで真夏に訪れたことがありますがまったくもって冒険旅行の感じで途中の見物でも万一再スタート出来なかったらと思い車のエンジンを切る気にはなりませんでした。このゴルフ場、そんな訳で秋から夏前まで営業しているのですが、ここは熱さ以外にもう一つ“世界一”の称号があります。 ここ Death Valley は標高が水面下なのです。 そんな訳でこのゴルフ場も水面下数十メートルにあり“世界一”低い位置にあるゴルフ場というタイトルがあります。 世界一とあらば当然プレイしなければなりません。昼前には到着し外の温度を確認するとたぶん35度程度、このぐらいなら大丈夫とここでも1ラウンド、ここもほとんど貸し切り状態でしたがそれでも砂漠の真ん中でゴルフをやろうという同志が他にも数名はいました。 途中所々にあるスプリンクラーで体を冷やし(いくら濡らしてもあっという間に乾いてしまいます)2時間ちょっとで18ホール終了、大満足で Let's Go Vegas と相成りました。3枚目は Death Valley の名所の一つ Bad Water" はこちら(といっても50KM程度先)という標識です。その名のとおり塩分が堆積し死海と並ぶ塩水湖でとても飲めるような水ではないことからこの名前が付いたそうです。 ここからべガスまでは約2時間、約2年ぶりのラスベガスはストリップの一等地にシティセンターなる複合ビルが誕生、シティセンターと言いながら中にはちゃんとカジノがあるそうです。 リーマンショックの後は少し客足が減ったそうですが今は以前と変わらない喧騒で他にも工事中のビルがたくさんありました。ここにもアンティークモールなる場所があり翌朝10時の開店を待って出かけたのですが掘り出し物はありませんでした。金持ちの集まるべガスはたぶん“売る”場所であって“買う”場所ではないのでしょう。
明日は友人に教えてもらったアナハイムのホビーシティー経由で最終目的地のサンディエゴに向かいます。

2010年6月2日水曜日

アメリカにアンティークの買い付けに行ってきました(その3)

ネバダ州のリノの少し東側からラスベガスまで約500KM、まっすぐに砂漠の中を縦断する道があります。途中100KMおき程度に人口数十人から数百人程度の小さな町(砂漠のオアシス)が3-4か所ある以外は本当に砂漠の中、何にもありません。最初の写真がそうですが道中どこで撮っても似たような景色です。 途中米軍の核爆発実験サイトがあるのもこの道路から少し東側に外れたあたりだと思います。この道をたどるのは2度目ですが今回は急ぐ旅でもなくちょうど中間点のゴーストタウン(と言うと今も住んでいる人に怒られるかもしれませんが) Tonopha と言うところに一泊することにしました。 2枚目の写真がその宿、こんな砂漠の真ん中のモーテルにもちゃんとカジノがありハイスピードインターネットが備わっていました。 

最後の写真はこの町にある鉱山の廃坑です。何を採掘していたかは知りませんが戦前には大変な賑わいだったのだそうです。

話は変わりますがHertzのナビによるとこの町にもゴルフコースがあることになっていたのですが行ってみると既に廃業していました。 そこでナビの Nearest Golf Course と言うのを調べてみると50マイルの地点にあることになっています。 50マイルは45分程度の距離ですのでまあいいかなと言うところですがナビによると方角は北東、でも北東には200-300マイル町らしい町はないはず、ちょっと信じられない感じでしたがゴルフをやるつもりでいたのが出来なくなると”どうしても”という気になるのが人情、思い切って出かけてみました。 行けども行けども予想どうり砂漠の中の一本道、なにもありません。あきらめかけたころ遠くにオアシスが、ナビの指示どうり行くとなんと9ホールの立派なゴルフ場がありました。9ホールと言っても距離はたっぷり、ミドルホールは軒並み400ヤード、ロングホールは500ヤードを超し、フェアウエイもグリーンも立派にメインテナンスされていました。 コースはもちろん貸し切り状態、それでも私以外に2-3人はプレイしていたでしょうか、2時間ちょっとで9ホールを2回18ホールプレイ、スコアもまあまあで大満足で帰路につきました。聞けば砂漠の中でも山の近くは雪解け水が豊富にあり水には困らないそうです(そういえばこのあたり、と言っても70-80マイル西ですが)のシエラ山脈は4,000-5000m級の山があり万年雪があります。そこから流れ出る川がこのあたりまでたどり着き砂漠の中の湖に流れ込んでいるようです) 。
夜は当然カジノへ、小さなカジノでさすがにテーブルゲームはなくスロットマシーンだけですがちょっとやってみると大当たり、宿泊費を払って、おいしいディナーを食べてそれでもずいぶんお釣りが来ました。こんな小さな町でカジノのオーナーに少し申し訳ない気分で砂漠の夜は更けていきました。

2010年6月1日火曜日

アメリカにアンティークの買い付けに行ってきました(その2)



前回も書きましたがネバダ州のリノ、カーソンシティあたりは私の大好きなところです。 何がいいかと言いますと、まず砂漠ですから当然のことながらお天気が良い(朝起きれば95%は快晴の青い空です)、高地故(標高約1,000m程度)ラスベガスほど熱くはない、こじんまりした町で大都会の喧騒は全くない、そこここに開拓時代のゴーストタウンが残っており古き良きアメリカが味わえる、そして車好きにはなんといってもリノは特別な町なのです。今では知る人も少なくなりましたが最盛期にはたぶん世界最大のクラシックカーのコレクションだったハラーズミュージアムの町として知られ最近では古いアメリカ車の祭典、HOT AUGUST NIGHT のホストタウンとして有名です。 またハラーズコレクションの一部を残した Reno National Automobile Museum は今も健在で昔ほどのコレクションは当然ありませんが楽しめるところです。
ちなみに HOT AUGUST NIGHT は約5,000台(!!)程度の40,50,60,70年代のアメリカ車が集まるビッグイベントで毎年、ラグナセカ、ぺブルビーチのヒストリックカーウィークの1週間前に開かれますので10日ほど休みが取れればすべてのイベントを掛け持ちすることが可能です。数年前のイベントの写真を一枚入れておきます(空の青さをご覧ください)。 話は変わってカーソンシティの郊外にジェノアレイクという小さなゴーストタウン(今でも数百人が住んでいます)があり、そこにネバダ州で最初に出来たという触れ込みのサルーン(酒場)が今もあります。2枚目の写真がそれです。このあたりが開拓されたのは1800年代の後半ですからほんの100年ちょっと前には腰に銃を下げたカウボーイがこんな酒場で一杯やっていたのでしょう。 野生のシカが多く今回も車の前に出てきたのでパチリと撮ったのが次の写真です。 このあたりにはいくつかのアンティークショップがあり今回も何点かは気に入った物をゲットしましたが今ではこんな田舎町でもネットの影響で自らもアンティークな”おばさん”が”これはE-Bayだと$$の値段が付くのよ!!とのたまう次第で昔のような掘り出し物に出会うチャンスは非常にまれになってしまったのが寂しいところです。