2011年3月30日水曜日

Volvo V70 ワゴン



ふとしたご縁で2001年型ボルボV70ワゴンが我が家のフリートに加わった。ボルボと言えば10年ほど前に740ワゴンをしばらく愛用したことがあった。車自体は十分気に入っていたがエンジンが走行中突然止まる症状に悩ませられ半年ほど悪戦苦闘、結局原因が燃料系のリレーの不良であることがわかったのは友人に”訳あり”安価で譲る決心をした後でちょっと悔しい思い出がある。今回の車は走行距離こそ14万キロを超えているが過去10年間ワンオーナー、定期点検、車検はすべてディーラーで実施と言う極上コンディションの個体である。エンジンは2.4Lターボ、本皮仕様+サンルーフ、スタッドレス4本別ホイール付き、とおまけもタップリなのがうれしい。ボルボと言うと質実剛健、がっちりした働き者、という先入観があるがちょっと乗ってみた感じでは色々な操作系が優しく力を要さないずいぶん都会的な印象がする。10年前のターボエンジンでスロットルを優しく踏んでいる限り挙動が極めておとなしいのもその印象を強くする。ボディ剛性もワゴンデザイン故なのか鉄の箱に入っているがっちり感ではなくこれもイメージに反してちょっとヤワな感じがしないでもない。快適装備はほぼすべて揃っていてしかも完璧に整備されてきた車で悪いところは何もない10年落ちのヨーロッパ車としては例外的な優等生である。しばらくの間我が家の長距離移動手段として活躍しそうだがちょっと困っているのが先日来また増えてきた車達、古い車と骨董品に関しては例外的に理解ある(諦めている?)奥方と娘だがそれでも目がつりあがってこないうちに2-3台嫁ぎ先を探さなければならない。ボルボに興味のある方おられましたらご一報ください。

2011年3月27日日曜日

FIAT850スパイダーのエンジン入荷

震災の直後13-15日に友人にノー天気と言われながら所用で和歌山に車で行ってきた。 和歌山の田舎でも食料品はまだ大丈夫だったが既に乾電池はどこにも売ってなく聞けば朝から万単位で買っていく人が続出してあっという間に品切れになったのだそうな。御先祖様に日ごろのバチあたりを詫びつつお墓参りを済まして帰りに以前から気になっていた古いイタリア車やドイツ車を得意とする阪和道和歌山インター近くのショップを訪問した。 以前850仲間のブログでここに”土に帰りつつある”FIAT850スパイダーがあるという記事を読んだことがありもしや、とオーナーに850のことを聞いてみると残念ながら関西の850仲間がやってきて色々な部品をはぎ取って残ったボディ本体は本当に土に帰ってしまったけれどエンジンはまだその辺にあるよ(!!)とのこと、得体のしれない部品の山をかき分けると本当にありました、見慣れた850ファミリーのエンジン、我が家にピーク時には4基の850エンジンがあったがここ2-3年の間に3台が嫁いでしまい残る1基はバラバラで欠品もあろうかという状態でどこかでエンジンをと物色していたところでまさにジャストタイミング、しかも故郷の和歌山で発掘とは、
なんとか高く売りたいオーナー(極めて当然のお話です)に出来るだけ安く買いたいFIATおじさん(うまくないことにどうしても欲しい気持ちは見え見え)は、ありとあらゆる屁理屈を並べて850エンジンはOTオートモーティブに収まるのがエンジンも本望であろう、しかもFIATおじさんは和歌山が故郷(そんなことは商売に関係ない!?)などと説得、ついにオーナー氏も根負けして(半ばあきらめ顔で)リーズナブルな価格で無事収まるべきところ(?)に収まった。写真は初期型843cc 100GS000型エンジンでクーペよりもカムのタイミングが異なり2Hp多い49HP(多少イタリア式計測法かも)を発生する。比較の為に600用100シリーズの派生形アバルト750GTのエンジン写真を載せておくので比べていただきたい。

さて思わぬ幸運でエンジンを手にすると俄然元気が出て帰途はいつも以上のペースで快走、いつもの新城パーキングのカレー屋でワンストップ、途中出会った被災地に向かう自衛隊や消防隊にご苦労様です、頑張ってくださーい、と車の中で叫びながら、既に神奈川ではガソリン給油もままならずとのことなので富士川サービスエリアで給油して10時20分ごろ帰宅、ここまでは良かったが直後に富士宮の震度6強の地震がやってきてこれはかなり揺れた。ただ揺れよりも直後に震源が静岡と聞いていよいよ東海大地震か富士山の爆発が来たかとそちらの恐怖が大きく強い余震もあってさすがに寝付けない夜となった。

2011年3月17日木曜日

地震のお見舞い申し上げます(ちょっと古いラジオの話)

前回のブログを書いて数時間後に地震はやってきた。ここ神奈川県西部でも揺れは相当に激しくまた長く続きこれはただならぬ事態と感じさせるに十分だった。幸い自宅に居り我が家には特に大きな被害もなかったがテレビと通じてリアルタイムで放映される悲惨な光景にただただ被災された方の無事と一刻も早い救出、復興を願わずにはおられません。 直接被災された方、ご家族御親類が東北、北関東に居られる方、通勤でご苦労されている方、遅くなりましたが改めて心よりお見舞い申し上げます。
今回の災害でトランジスターラジオが情報伝達の手段として脚光を浴びているが私も(多少アンティークラジオを売っていることもあって)ラジオファンの一人である。当方で扱っているラジオは1950-60年代の真空管ラジオが多くトランジスター版であっても60年代の物が多い。写真(1)は(なかなか売れないので)最近数カ月我が家に居座っている1948年型(はい、私の生まれる1年前です!!)GEの真空管ラジオで今これを書いている最中もずっと点けっぱなしである。内蔵式のアンテナがあって良く聞こえるのと何となく柔らかい音質がいい。写真(2)はファイアストーンの1940年代の真空管式、既に売れてしまったが素晴らしいキャビネットだけでなく実際によく聞こえた。タイヤで有名なファイアストーンだがラジオをはじめとする家電各種や自転車などもかなり大規模に作っていたようである。写真(3)はおなじみチャンピオンの60年代のラジオでこれはトランジスターで9V電池で作動する。これは何と日本製で考えてみればトランジスターラジオは当時の日本の花形輸出商品、チャンピオンも販促品を作るのに安くて性能のよい日本製を選んだのだろうと思うと元チャンピオンマンとしては感慨深い。

ちなみにAM放送はアメリカと日本で同じ周波数域を使うのでアメリカ製でも日本で問題なく聞けると認識していたのだが先日友人にそれは昔のアナログラジオのことで今のデジタル選局ラジオはあまり良くは聞こえないような事を聞いた。どなたかご存知の方がおられれば教えていただきたい。

2011年3月11日金曜日

オートモビリア増殖中

新しいオートモビリアを満載した箱が到着した。 毎度のことながら箱を開けて中の荷物を取り出す時のワクワク感はどうしたものだろう。 年を重ねて物事に感動することが日増しに少なくなってきているように感じるがこの気持ちは小さい時にやっとの思いで買ってもらったおもちゃを取り出す時のあの感激そのままのように感じる。
オートモビリアの販売を始めて1年、皆様の温かいサポートのおかげで新米の”骨董品屋のおやじ”も段々とそれらしくなってきて当初月1度程度だった荷物の到着も最近は10日に一度程度に増えてきた。 相変わらずチャンピオンプラグやSTPのノベルティーや古いスパークプラグ、50-60年代のプロモカー(年代別のディーラー販促用プラスチックモデルカー)が中心だが最近は少し商品の幅を広げるべくブリキのモデルカーやヴィンテージアパレル、ヴィンテージ補助ランプ(マーシャルやルーカスのフォッグ、スポットライト)も少しづつ手掛けている。今回入荷した商品の中にもいくつかの60年代のブリキやもっと古いところでは通称 "Occupied Japan" と呼ばれる日本占領統治時代のブリキも含まれている。 これらのオートモビリアは近日中に某オークションやイベントに登場するのでご期待いただきたい。
最近の悩みは自身のホームページのオートモビリアページを更新する時間が取れないこと(真の原因は時間が取れないのではなく”だれにも負けない意志の弱さ”がたたってのことであるのは本人も十分承知しているが一応時間が取れないことにしておきます)。 毎朝、よし今日はこれをやってーーと目標を立てるのだがアフタヌーンティー(少し遅くて5時ごろ)の時間頃になると”よし今日は少し夜なべをして頑張ろう”となり、ワインをたっぷり楽しんだ後では“まあいいか、健康第一、早く寝て明日頑張ろう、早寝早起き良い大人ーー”と相成って今日も目標達成せず、となるわけです。

それでも諦めないのが良いところ、よーし、あすから頑張るぞ!?
どなたか意志の弱さに効くいい薬御存じでしたら教えてください。

2011年3月8日火曜日

薪ストーブ奮戦記

これもいささか古い話で恐縮だが1月中旬になって我が家にやってきた薪ストーブとその関連の話を少ししたいと思う。
この冬の寒さに耐えかねて、と言うと北国の方に笑われそうだがもともと関東の家が冬にもっとも寒い、が持論。なぜならこれ以上北に行くと寒さ対策がしっかりしていて夜に暖房の火を落とさなくなるから関東近郊の家が夜間最も冷え込む事になる。アメリカも同様でデトロイト郊外の家など厳寒の戸外とは裏腹に中ではTシャツ一枚で過ごしている。 それでも以前大磯にいるころはそんなに感じなかったが僅か数キロ内陸に入っただけでこの寒さはどうしたことか!! 幸い燃料となる薪はタダで手に入りそうなので思い切って薪ストーブ導入計画をスタートした。 いつもお邪魔する箱根のカフェJには開店当時から立派な薪ストーブが鎮座しておりここで詳しいお話を聞くことからスタート、また昨年フレンチブルーの際にお世話になったペンションにも鋼板製の地元製作の薪ストーブがありその後テレビにも登場したこともありこれも候補に。詳しい情報を集め見積りをとってみると本体価格、煙突材料価格によって大きな差があるがそれでも70-150万程度かかりこれでは年金生活の身には予算オーバー、それではとネット販売の業者から本体と煙突材料を手配し、設置は自ら図面(らしきもの?)を引いて、薪ストーブの経験はないからと躊躇する工務店を営む長年の友人を口説き落として難しいところは手伝ってもらって実施することに相成った。 結果は案じるより産むがやすしで、本体、煙突材料、工事費、遮熱板まで含めて総費用20万円ちょっと、丸1日の工事で取り敢えず燃やせるところまでこぎ着けた。ただしこれは多くの友人たちの(見るに見かねての?)助けによるところ大で、フェアなところは総予算30万程度と思っておく方が良いだろう。
焚付けにも多少のテクニックが必要で当初は部屋中煙で悪戦苦闘していたがそれも1週間程度で卒業、ストーブの窓を通して赤くゆらゆらと燃える火を楽しむまでにそんなに時間はかからなかった。
これで寒さからは解放されたと思いきや薪ストーブは想像をはるかに超える”大食漢”であることが判明(ホームセンターで売っているひと束600円程度の薪は2-3時間で無くなってしまう!!)、今度は薪の調達に追われることとなった。冒頭にも記したが田舎のありがたさ、薪の材料自体は少し声をかけるといくらでも無料で頂けそうであるがこれを燃やせる状態にするのにまた手間がかかる。まず適当な長さに切らねばならない。幸いチェーンソーは以前から手元にあるがしばらく使っていなかったのでまずこれをオーバーホール(この辺はおかげさまで古い車のことを思えば朝飯前!?)、次にソーの目タテをしこれで切断はOK,次は切った素材を大ナタで2-4本に縦割にする。今までペンやスパナ以上に重い物を持ったことのないへっぴり腰だったがこれも数日やっているうちにコツがわかり快感に!! 保証します。ストレス解消にこれほど適したものはないです。世の中のサラリーマン諸氏、上司の不満、会社の不満があったら薪割りをお勧めします。
こうしてできた薪は本当は半年ほど乾かしてやっと本来の薪になるのだそうですが今年はそんな悠長なことは言っておれないので取り敢えず無理やり燃やしている。
あと灰の処理が大変で数時間で灰受けがいっぱいになるので捨てなければならない。この灰は20Lのオイル缶に捨てるのだがこれも2週間もたたないうちに一杯になる。さてこれをどうするかとなるがそこはうまくしたものでこれは家庭菜園の畑の土に混ぜると良いそうでこれも1件落着。
長くなったが平均して1日1時間程度はメインテナンスにかかりそうである。でそれだけの値打ちがあるかと問われれば答えは明白でもはやこれなしでは冬は過せないと思う。
今導入を考えておられる方、くれぐれも薪の調達の目途を立ててからにされますように。繰り返します。薪ストーブは想像をはるかに超える”大食漢”です。

2011年3月6日日曜日

ルノーサンク

いささか旧聞に属するが2月の初めにルノーサンクバカラが1週間ほど我が家に滞在した。バカラはご存知デラックスバージョン、本皮の内装などなかなかオシャレにできている。例によって箱根のカフェJまで軽く一走りしてみたがマニュアルミッションのおかげもあってこれが走っていて実に気持ちが良い。
決して最新テクノロジーの”エコ車”を否定するつもりはないがこうした気持ちの良いベーシック車に乗ってみるとなんだか最近の車は”エゴ車”に聞こえてならない。老人のヒガミと思われそうだがまあピープルムーバーと乗って楽しむ車(サンクは本国では立派なピープルムーバーだったはずですが)は別のカテゴリーに属する車と考えることにしましょう。

このサンク、しばらく一緒に生活したかったが1週間ほどで新しいオーナーの元で幸せな生活を送ることとなった。写真は嫁ぐ日の前日、弟分の“火の玉小僧”が遊びに来てくれた際の物。今ではあまり見なくなったドッかんターボを隠し持つ弟分は(ターボが効いてくると)さすがに早く足回りもそれなりにがっちり固められて元祖”火の玉ホットハッチ”の面影十分、これはこれで痛快だった。それにしてもヨーロッパのベーシック車(とくに90年代中頃までの)、個性派ぞろいで楽しいですね。

2011年3月1日火曜日

意志の弱さではだれにも負けない自信あり(!?)

今日から3月、庭の梅の木も満開、春はもうそこまでという感じでしょうか。 ふと気が付くと前回のブログからなんと1.5カ月が過ぎている。 この間何人かの読者の方から”最近更新されてないけどーーー”とありがたいお叱りをいただきながらも今日になってしまいました。  すみません!! この間もちゃんと生きていました。 決して海外逃亡していたわけでも入院していたわけでもなくただひたすら働いていました。そうです。ありがたいことにモーレツに忙しかったのです。”忙中閑あり”(ではなく意志の問題と言うのはわかっているのですが)でとりあえず今日からブログとホームページの更新に取り組む(何度目かの)決心をしました。きっとまたすぐに挫けると思いますが挫折してもまた戻ってきますので見放さないでお付き合いください。写真はこの間に起こったいくつかの出来事です。ささか旧聞に属するが順次ご紹介したいと思っています。