2011年12月14日水曜日

メルセデスベンツC200ワゴン

              2週間ほど前のことになるが12年落ちのベンツC200ワゴンが我が家にやってきた。既に17万キロ近くを走っている個体だがワンオーナー、すべてディーラー整備の非常に程度の良い車である。実はC20Oはこれが初めてではなく3か月ほど前にも1台入荷したことがあるがその時は2週間ほどで売れてしまいほとんど楽しめなかったので今回こそはじっくりと思っている。取り敢えず第一印象は○印である。何が良いかと言うと実用車として使い勝手が良いのである。サイズは手ごろ、パワーは必要にして十分、ベンツ特有のがっちり感のある作り、そしてあるべき物があるべき所にある使いやすさ、と言ったところであろうか。最近の新しいモデルはどうなっているのか知らないが少なくともこの時代までのベンツはライトやウインカー、その他のコントロール類がAクラス、Cクラスから450SLに至るまですべて同じデザインでかつフィーリングも同じでベンツに慣れた人なら乗り換えても何ら違和感なく使えることが嬉しい。気に入らないところと言えば(これはベンツのせいではないが)右ハンドルにしている為左足の置き場が狭いこととオートマのマニュアルモードが意外と節度がなく誤って他のギヤに入りやすい(例えば4速から3速にシフトダウンすると勢いで2速の位置まで動いてしまうことがある)ことぐらいだろうか。いずれにしてもキッチリと真面目に作られた機械の良さが実感される。昔からメルセデスは高級実用車だと言われてきたがそのとおりと思う。どちらかと言うとベンツ嫌いだったが正直に白状するとこのC200,結構気に入っている。近日中に某雑誌のバザール欄に登場するが”お父さんのお小遣い”で買える夢としては悪くないと思っている。

2011年12月12日月曜日

浜名湖2&4部品交換会

              またまた“だれにも負けない意志の弱さ”を発揮してブログをしばらく休んでしまった。決して言い訳をするわけではないがここのところ猛烈に忙しく毎日12時間ぐらい働いている気がする。”To-Do" リストは増える一方であるがそれでも僕は今のこの快適な生活が大いに気に入っていて来年は少し遠方のイベントにも足を伸ばそうかと夢は膨らんでゆく。そんな中、11日の日曜日は浜松で行われたスワップミートに出店してきた(先週は9月後半以来初めてイベントの無い週末だった)。場所は浜名湖の競艇場の駐車場で驚くべきことに300以上の出店者があり主催者の話では毎回1万人近い人が訪れる一大イベントだそうである。寒さは十分に対策していったが”想定外”は強風でそういえば浜松は遠州からっ風の本場、他の参加者に聞いてみるともっと強い風の時もあるそうで次回からは風対策も必要なようである。おかげさまで12時の閉店までお客様が絶えず“商売繁盛”2重丸のイベントであった。次回は4月8日だそうで早くも予定表の”MUST”イベントに登録した。競艇場の設備は驚くほど立派で浜名湖に浮かぶ施設は写真のようにどこのリゾートかと思われる風景である。ちなみにここから浜名湖越しに見事な日の出と富士山が見えたのは大きな発見であった。

2011年11月22日火曜日

2馬力からガソリンがーーー



            11月20日(日)恒例の大磯ロングビーチエクスチェンジマートに出店してきたがそこでちょっとしたハプニングがーーー。 実は数日前2馬力で外出しようとして家から出てすぐにガス欠、おかしいなあ、まだ多少はガスが残っていたはずなのに、と思いながらも特に車の下にガス漏れの跡もなく詳しい点検はしなかった。エクスチェンジマートは日の出と共にオープン、おかげさまで今回も売れ行き好調で7時半ごろになって一息つこうとしたらどこからかガソリンの臭いがする。まあ古い2輪、4輪が周りに多くいるので特に気にもしなかったがふと気が付くとガスが漏れているのは何とわが愛車ではないか!! すぐに車の下を見てみると幸いにも漏れているのはボンネット先端下部にあるフュエルホースからと判明、近くの出店者から工具を借りて無事応急修理をすることが出来た。 2枚目の写真がその場所であるが車体下部で本当に良かった。もしこれがエンジンルーム内のエキゾーストの上あたりだったらと思うとぞっとする。ちなみにここからガスが漏れてしまった為にまたまたガス欠、ガソリン自体はすぐ近くのスタンドで調達できたがどうも前回のガス欠でタンク内の最後のごみまで吸い上げてスロー系統のノズルにごみが詰まったらしくアイドリングが効かなくなった。と言う訳でガス漏れを心配しつつ、エンストをさせないように信号で止まるたびにブレーキとアクセルの両方のペダルを踏みながら(つまりヒールアンドトウですね)何とか無事帰還、今日になったがホースを交換しキャブのスロージェットを清掃したら無事完治した。みなさん、愛車がおかしいと思ったら何か原因があるはず、早めにきっちりと点検しましょう(ちなみにガス漏れに気が付かなかったのは止めてあるところが未舗装で僅かのガス漏れでは地面に吸い込まれて気が付かなかったようである)。それとやっぱりお守りの為に1本消火器を積んでおこうかと思っている。

2011年11月17日木曜日

Old Dinky Bus






Old Dinky Bus と言えば2階建てロンドンバスが有名だが他にも色々と楽しい物がありそうだ。 写真の4台の中で多分一番古いのは左端のシングルキャブのモデルで1948-1952年リリースの#29e。2台目のグリーンはラクジャリーコーチと呼ばれる#29g/281モデル。1950年代後半に販売された。左から3台目はオブザベーションコーチと呼ばれる後ろが2階席になったモデルで#29f/280、これも50年代のモデルである。右端はノンレストアのモデルで#283、BOACコーチと呼ばれるモデルで50年代後半から60年代半ば頃まで生産されたようである。そもそも29シリーズバスの原点は29aと呼ばれる中央に入口があるダブルデッカーバスで戦前の1936年リリースだそうである。何とか手に入れたいと思っているが高価でなかなか手が出ない。他にもレアアイテムとしてはフランスディンキーのバスが(アイテムナンバーはダブルが)29D,29Fとしてリリースされている。


2011年11月14日月曜日

愛知県つくで村発動機運転会




                                         昨日、13日の日曜日、愛知
県と静岡県の間、奥三河のつくで村で行われた発動機運転会にスパークプラグ
のサービスと販売に出かけた。前日の夜、伊豆の国市(どこの事かと思ったら以前の長岡温泉が合併してこうなったそうである)で大学の自動車部のOB会があり寝不足の目をこすりながら5時半に出発、途中東名の由比パーキングで日の出を見ながらハイペースで西へ、三ケ日で降りて山道を飛ばす。このあたり40年ほど前にラリーで良く走ったところでさすがに富士山周辺のように目をつぶっていても走れるほどではないがそれでも所々懐かしい風景を思い出しながら9時過ぎに到着。途中路肩決壊による通行止めのため大幅な迂回を強いられ予定より1時間近く遅れた為既に200台以上の発動機が並ぶ中に恐縮しながら車を乗り入れる羽目になった。それでもテーブルを並べるや否やありがたいことにお客様が殺到しかなり多く持って行った古い発動機用のプラグ(1/2インチパイプネジの特殊な取り付けネジを使い古いT型フオード用のプラグが合う)は最初の30分ほどで売り切れてしまった。その後も展示用に持ってきた古いプラグのコレクションを譲ってほしいというお客様が絶えずおかげさまでお店は大繁盛、顔見知りのお客様も何人かいて実に楽しい1日だった。この発動機のイベントの為に遠く四国や広島、関東からも多くの方が参加されておりその熱意感心した(当方のプラグと異なり古い発動機はとにかく重く遠方からの参加はかなりの労力と気力が必要と察する)。

2011年10月30日日曜日

御殿場部品交換会



御殿場の富士スピードウエイ正面ゲートと東ゲートの中間付近の広場で定期的に行われている部品交換会に初めて参加してきた。イメージは毎月の大磯ロングビーチエクスチェンジマートと似た感じでどちらかと言うと2輪の部品が多いようだがアンティークを扱うディーラーもちらほら、夜明けとともに始まって10時前には終わるパターンなので時間は有効に使えて嬉しい。先週に続いて齢46歳の2馬力に鞭打って満載のアンティークと共に5時すぎに出発、御殿場への上りは難関であるが2速と3速を使い分けて何とか他の車の迷惑にならないように左端をすすむ。途中久々に見事な赤富士に出会った(急いでいて写真を撮れなかったのが残念)。会場は舗装は無いが広々とした敷地で場所は適当に使って下さい、というおおらかさでありがたい。心配したお天気も全く問題なしで10時頃まで快適に過ごすことが出来た。肝心の売り上げはマアマア、と言ったところだったが2CVはここでも大人気で質問攻めで嬉しい悲鳴を上げた。今回新しく投入したディスプレイ棚もいい感じで段々と“プロ”らしくなってきた感じがする。それにしてもブルゴネットの大きな箱の威力は大したものでテーブル3個、テント、5段のディスプレイ棚、プラケース4個、多数の看板、おびただしい量のエコバッグ等を苦もなく飲み込む。しかも帰りはほとんどが下り、来る時に軽の家族連れに下げすさむような眼で見られながら抜かれたうっぷんを晴らすべく快調に進む。途中南足柄郷土館でやってる昭和レトロ展なるものを見てマックで昼食(ここがアンティークおじさんとおばさんの凄いところでさすがアメリカンアンティークを売っているだけのことはあるでしょう!!)午後1時には無事帰宅した。
好調な2馬力に気を良くして来週はこれで無謀にも(?)豊田スタジアムで行われる名古屋クラシックカーミーティング2011に遠征する決心を固めた。中央道の登りはきついので東名で行くとして難関は牧ノ原と帰りの御殿場への上りか? まあゆっくりいけば何とかなるでしょう。中部地方の方お会いできるのを楽しみにしています。

2011年10月24日月曜日

今日は24節気の一つ霜降


今日は24節気の一つ、霜降、読んで字のごとく霜降り始めるころだそうである。つい先日まで暑い暑いと騒いでいたのにあっという間に秋本番、元々晩秋の季節は大好きでひと雨ごとに富士山の冠雪が増えてゆくのを見ているのは実に楽しい。空気も日増しに澄んでくる。昨年は何故か不作であった我が家の柿が今年は大豊作で写真のごとく枝も折れんばかりに実を付けている。何の手入れもしていないがこの柿なかなか美味でお近くの方は是非立ち寄ってお持ち帰りいただければと思う。もうすぐ紅葉も見ごろを迎えるだろうしその頃は立冬、そろそろ薪ストーブの準備にかからなければならないが取り敢えずこの冬の薪はほぼ確保出来ていて昨年と違い快適に冬が過ごせそうである。今週の週末は御殿場のスワップミートに出店が決まりこれで10月は5回ある週末全てでイベント出店となった。本当に目の回るぐらい忙しいがおかげさまで楽しい毎日を過ごさせていただいている。

2011年10月23日日曜日

愛知県 OFF LINE BUY & TRADE





少々旧聞に属するが10月9日に愛知県瀬戸市で行われた OFF LINE BUY & TRADE に参加してきたので報告をしておきたい。今回が初回と言うことで各地で良く行われている早朝から昼前までの部品交換会的なイベントを想像して出向いたが期待に反して(?)これが素晴らしいイベントであった。まず主催者の方が非常にしっかりと運営をされていて大変快適であった。 その2は参加者がアメ車やホットロッド(!!)、ヨーロッパ車、国産旧車から古いスクーターやべスパ、果てはハーレーに至るまで多岐にわたっておりまたスワップミート出品者もアンティークありおもちゃあり部品ありとかなりのマニアックな方から家族連れまで本当に楽しめる。その3がこれも主催者のPR努力の結果と思うがお客様が大変多く我々出店者としても非常にありがたい。結果売り上げは極めて好調で9時の開店から3時の閉店までほとんどお客様の切れ目がなくしかも今回に限って1人での参加と言うこともあってお店を離れることが出来なかった。写真はたまたまお店の前に古いスクーターが集まったので撮った物である。古い車やオートモビリアに興味のある方には絶対にお奨めのイベントである。ちなみに帰り際に次回はいつか聞いてみたが残念ながらまだ未定とのこと、ただ主催者としても今回は大成功のようで(素晴らしい好天に恵まれたのもあるが)既に次回の計画に取り掛かっておられるそうである。こうしたイベントが増えること心から願っている。

2011年10月22日土曜日

ボンジュール 2CV AZU




既にこのコラムにも何度か登場しているが1965年生まれのシトロエン2CV AZUが縁あって我が家にやってくることになった。いわゆるブルゴネット商用車であるがこの当時の正式名はAZUと言うらしい。実は2馬力は初めてではなく数年前まで最終形のチャールストンを所有していたことがあるが1965年生まれとなればまだ金属ハンドルの付いている立派なアンティーク車、我が家の中では58年生まれのアバルトに続く後期高齢車(?)となる。この車、かなり有名な車で2CVファンならご存知の方も多かろうと思うが縁あって今回生活を共にすることになったものである。1965年生まれとなれば本来は400CCバージョンであるがこの車は後の600cc版に載せ替えてあるそうでそれなら(ゆっくりであれば)箱根の山ぐらいは登れるだろうと思う。アンティークグッズを満載して(近距離)各地のイベントに馳せ参じる予定でまずは明日の大磯ロングビーチのスワップミートが(雨さえ降らなければ)デビュー戦となる。見かけた方は是非声をかけていただければ幸いである。

2011年10月21日金曜日

グッドバイ プジョー309


昨日もちょっと書いたが数年間苦楽を共にした(?)プジョー309が群馬県の新しいオーナーのもとに嫁ぐことになった。地味な外観が災い(あるいは幸い?)して街中で注目を浴びることはまずないが元々多くない309の中でも5ドアは非常に数が少なく、中でも女性仕様車ブラン(モンブランのブランと同じで白の意味)は珍車、当方が所有していた数年間で同型車にはついに一台もお目にかからなかった。たくさんの方にお話をうかがい数年前まで浜松に一台と岡山に一台生息していたことが分かっているがいずれも現在は消息不明だそうでナンバー付きで生き残っているのは日本国内ではこの車一台だけかもしれない。 そんな309だがさすがフレンチブルーだけは例外で五指に余る方から”珍しいですネー”とお声をかけていただいたり写真を撮っていただいたりと嫁入りを控えた309もさぞご満悦だったであろうと思う。我が家にいた間に大きなトラブル(トラブル自体はいたって単純であるが原因を突き止めるまでが大変だった)はただ一度、ディストリビューターのオイルシール不良で多少オイルが漏れちょうどその下にある(多分)クランクセンサーがオイルで汚れて正しい信号を出さなくなってエンジンが時々始動不良になったことぐらいである。厄介だったのは”時々”起こることでディーラーに持っていってもちゃんと始動する為なかなか原因がわからなかった。原因を突き止めてからは半年に一度程度センサー周りを掃除してやれば全く問題はない。この車の最大の美点は当時のフランス車特有の猫足と快適なシートで比較的高速設定のオートマで山道を飛ばす楽しみはなかなかの物でツインカムとガチガチの足回りのD国やJ国のスポーツ車に対する強烈なアンチテーゼだと思う。
309が新しいオーナーのもとで幸せな生活を送ることを祈る!!

2011年10月20日木曜日

秋晴れフレンチブルー








先週の週末、嫁ぎ先の決まったプジョー309の最後の御勤めとして恒例のフレンチブルーに長野県の車山に出かけてきた。昨年は冷たい雨に霧、加えてプジョーの室温調節ダイアルが壊れてCOLDに留まったまま頑として動かず車内でスキー用のダウンを着こんでそれでも震えながらの車山詣でだったが今年も出かけるときは雨、どうなる事かと思ったが到着して見ると何とか夕方までは持ちそうであわててフリーマーケットのお店の開店準備をした。今年は古いフランス系のステッカーやピンバッジなどの小物を準備して出かけたがおかげさまでこれが大好評、2時間半ほどの間にかなりの売り上げを記録することが出来た。夜の間にかなりの雨があったようだが明けて日曜日は9時頃には完全に晴れ上がりしかも今年はジャンパーがいらないほどの温かさで絶好のフレンチブルー日和となった。会場は例年どうり新旧ありとあらゆるジャンルのフランス車であふれかえったが中には写真のような珍車も、わが309もいたって地味ではあるが珍しい部類では負けていないで数人の方から”珍しいですネ”と声をかけて頂いた。309、特にGTIはそれでもまれに見かけるがこと5ドアとなるとナンバー付き現役は日本国ではこれ1台ではないかと密かに自負している。
一日思いきり楽しんだ後の帰り道、普段景色など見る為に止まる事はほとんどないが白樺湖のあまりの美しさに見とれて撮ったのが3枚目の写真である。


2011年10月4日火曜日

静岡県石油発動機運転会


10月2日の日曜日静岡県の浜岡(あの浜岡原発のすぐ近く)で行われた古い石油発動機の運転会に古いスパークプラグの販売とサービスの為に参加してきた。戦前から戦後にかけて作られた単気筒の産業用(大半は農業用)発動機をレストアして運転するもので全国に多くの愛好家がいるそうである。この発動機の大半に使われているスパークプラグが1/2インチの管用テーパーネジを取り付けネジに使った特殊なプラグで実はT型フオードの純正プラグであるチャンピオンXがこの取り付けネジを使っている為古い発動機に流用が可能なのである。”流用が可能”と書いたが実際には産業用単気筒エンジンの方が多分T型フオードよりも歴史が古いと思うので”流用”したのはヘンリーフオードの方かもしれない。このネジのスパークプラグ、今でもNGKやオートライト製の新品が市販されているがそこは古い物を愛する愛好家、スパークプラグも当時物が良いと言って下さる方が多くおりかなりの数のオリジナルのチャンピオンX(100年近くも前のプラグ!!)を販売させていただいている。またチャンピオンプラグではこのチャンピオンXの復刻版を限定生産しておりこちらもデザインは当時のままでなおかつ新品なので信頼性があり人気がある。今回たまたまお客様の1人から古いプラグの入手にはみなさん困っているので来てもらえるとありがたいと紹介を頂いたのと元々学生時代を過ごした静岡と言うこともあってお邪魔することにした。有難いことに机に商品を並べる間もなく現行品のプラグは完売、その後も古いプラグの相談やアンティークプラグのコレクションを熱心にご覧になるお客様が絶え間なく来て下さり単気筒発動機のポンポンと言うのどかな排気音を楽しみながらあっという間に1日が過ぎてしまった。ちなみにこの発動機、エンジンの原点のようなもので古い車好きなら1台欲しくなるところだが重いのが難点、乗用車での移送は無理で小さな物でも軽トラに積み下ろしするのに大人2人は必要で写真のような大きなものになると中型トラックに本格的なユニックが付いたものでないと手に負えない。

2011年9月25日日曜日

大磯ロングビーチエクスチェンジマート


                  今日は月一度の大磯ロングビーチエクスチェンジマートの日、7月8月とプールの営業の影響でくらやみ市と称して夜7時からのスワップミートだったが今月から本来の早起き市に戻った。ちなみに真夏のくらやみ市は決して悪いものではなく猛暑の中、涼しい大磯の夕べを結構楽しんだしお客様の数も驚くほど多かった。このスワップミートは出店料が安く場所も大きめの車2台分の駐車場所がありかなりの商品を並べることが出来る。それに短期決戦で朝、日の出と同時に始まり10時頃には終わるので時間が有効に使える。加えて何と言っても有難いのは車で15分と近いこと。お昼には家に帰って片付けを終えて一杯やってゆっくり昼寝が出来る。1月に初めて出店させてもらってから(震災の3月を除いて)皆勤賞である。最大のリスクはお天気で最初から本降りなら諦めるが商品を並べた頃に降り出す雨が最悪のパターンで前回がまさにそうだった。
今回はお天気も悪くなくビューリーで仕入れた商品もあって気合が入っていたが3連休でみんな遊びに行ってしまったのか普段よりお客様が少ないようだった。それでも毎回来て頂けるお客様があって売り上げはそこそこ、今回も満足して帰ってきた。

2011年9月23日金曜日

シトロエン2CV AZU



                                                       今日はここしばらく連載中のビューリー旅日記をお休みしてちょっと楽しい車のお話。 お彼岸の中日の今日、我が家にちょっとオシャレなフランス娘がしかも2人で現れた。青い方は1965年生まれと言うからおん年46歳の2CVAZU、通称ブルゴネットと呼ばれる2CVの貨物車である。65年当時は400CC+の肺活量だったはずだがこの個体は後の600CCタイプ+ディスクブレーキに心臓移植してある由、それなら決して速くはないが一応高速道路も山登りも大丈夫に違いない。この車のオーナー氏は興味があるなら適価で譲っても良いというありがたいお話で、実はアンティークを売る為のイベント出店に適当な車はないかと探し始めていたFIATおじさんにとってまさに”渡りに船”と言った感じ、かなり真剣に悩み始めている。たかが600ccで荷物を満載して遠くに行けるの(?)という疑問がありそうだが意外やこの車の実力は相当なもので一旦スピードに乗ってしまうと平坦路なら90KM程度で快適に巡航できる。さすがフランス車でスタイルとは裏腹に高速道路は得意なのである。雪道も得意分野でそれでは苦手は何かと言うと山登りかもしれない。本場アルプスの生まれであるが荷物を一杯積み込むと急坂はかなり苦しくなる(真偽のほどはわからないがどうしても登れない坂はバックで登ると聞いたことがある)。そういえば2CVにはエンジンを前後に積んだ車もあったがやはり山登りや砂漠で使う為にはモアパワーの声があったのかもしれない。

2011年9月22日木曜日

ビューリーオートジャンブル(4)



                                                     ビューリーの楽しみの一つはナショナルオートモビルミュージアム、つまり”国立”自動車博物館であってさすが古い車とモータースポーツの本場だけのことはある。中でもその一角にある古いガレージを再現したコーナーとその中にあるオートモビリアのディスプレイは特にお気に入りスポットである。 オートモビリアの販売を生活の糧(ちょっとオーバーかもしれないが年金だけでは生活できないのは事実)とするようになって1年半ぐらいになるがいずれは古いプラグやプラグに関するオートモビリアを集めたディスプレイをガレージの一角に作ってみたいと常々思っている。思うのは簡単だがいざ実行するとなると金もかかるし何よりもセンス良く作るのは至難の業である。日頃思うのだが家やガレージの内外装、あるいは町全体のデザインに関してはどうもイギリス人の得意分野であるらしく、例えばイギリスの片田舎の町でもあるいは旧大英帝国の植民地であってもどこも町並みが美しい。町並みだけでなくイギリス車の色がまたいい。このあたりのセンスは持って生まれたものなのか或いは勉強や経験によって得られるものなのか興味深い。次回は”国立自動車博物館”の展示車について少し触れてみたい。

2011年9月21日水曜日

ビューリーオートジャンブル(3)


              ビューリーでの嬉しい驚きの一つはこの車だった。1961-2年頃のクライスラー300Gである。不思議に思われる方も多いかと思うがイギリス人は意外とアメリカ車好きなのかオークションにも50-60年代のアメ車が多く出品されている。なぜこの車が嬉しい驚きかと言うとこれこそが僕が車人生を歩むことになったそもそもの原点なのである。話は50年ほど前にさかのぼるが当時創刊されたばかりの少年サンデーと少年マガジンと言う2大週刊誌があって(週刊だったと思うが月刊誌かもしれない)僕は少年マガジン派、ある時からその少年マガジンの裏3に“世界の自動車”というページの連載が始まりその最初を飾ったのがこの車だったのである。しかも色もズバリこれ、普通のサラリーマンの家庭に育った身には当時は車を持つなど夢のまた夢、ましてやアメリカ車を持つことなど想像することすら出来ない時代だったがそれでも少年の心をときめかせて自動車趣味に走らせるには十分以上のインパクトだった。多分伝説の名デザイナーエクスナーの息のかかった最後のモデルと思うが今見ても中々のグッドデザインである。決して天文学的な値段ではなかったのが余計心に引っかかった。

2011年9月20日火曜日

ビューリーオートジャンブル(2)


             ビューリーで売っているのはオートモビリアやクラシックカーの部品だけではない。クラシックカー自体もピンからキリまでたくさん売っている。 入口から入ってすぐに個人の展示場所がありフェラーリやEタイプからFIAT500まで何でもありだがさすがイギリス、そういえば昔“世界の自動車”か何かの写真で見ただけのような珍車が何台か出品されている。上の2台の写真を見て即座に車名が言いあてられる方は”カー検1級”選考委員会からご招待がかかるかもしれない(?)。最近の円高のおかげもあって無理をすれば手が届かないでもない値段だったがミニカーと違って1/1は持ち帰ることを考えるとつい現実的になってしまう。 1000万の車なら輸送費用は相対的には大したことはないのだろうが我々の懐具合で買える車にとっては輸送費用のハンディは大きいのである。
ここ以外にもオークションのボンハムはテントの中でかなりの数のオークションをこなし(ざっと車を見たがぺブルビーチのような高額の物はないようだった。いずれにしてもあまり縁がない世界なのではっきりとした記憶はない)、専門業者の何社かはそれぞれ自慢の車をお披露目している。日曜の夕方にはSOLDのプレートがかけられた車がかなりあったからそこそこ売れるのだろう。

2011年9月19日月曜日

ビューリーオートジャンブル(1)


           
  
ビューリーオートジャンブルから帰って数日が過ぎ去った。既に賞味期間は過ぎてしまった感があるが少しばかり旅日記を書いてみたい。 ビューリーは今年で3回目、有難いことに過去2回はいずれも晴天、ブリティッシュウエザーの洗礼は受けていないが今年はどうも雲行きが怪しい。天気予報を見ているとなんとハリケーンまでもがイギリス北西部を狙っているらしい。 場所はイギリス中央部の最南端、サザンプトンの町から西に20Kmほどのところにある貴族の館の広大な敷地を使っておよそ2000店に上る自動車関連のショップが出店する。メジャーなお店、100軒程度は中央の大きなテントの中で営業しているが大半は写真のような感じで芝生の上に自前のテントを張って出店している。一般への開放は(土)(日)2日間だが出店者、関係者向けに(金)もやっており出店料自体は高くはないので出店しない業者も出店料を払って(金)に獲物を探して乗り込むのだそうだ(これにはもう一つ大きなメリットがありこうすると会場の中に自分の車を乗り入れることが出来、購入した大きな荷物を持って遠い駐車場まで何度も往復しなくとも済む、来年はこのパターンでやろうかと思っている)。2000店の内当方の関心のあるお店が1/3として700店、これを2日で見て回る。間にランチと休憩をはさんで午前3時間、午後3時間、それぞれで170店ほどを見て回らなければならない計算でつまり1分で1店、物を購入する場合は当然価格交渉に時間が余分にかかるわけでかなりのハイペースで消化しなければならない。しかも購入した荷物で体は重くなるばかり、各セッションの後半には背中のリュックと両手の荷物で歩くのもやっと(!!)の状態で何とか車にたどり着き荷物をおろしてほっと一息、である。アンティークの買い付けに行きました、と言うとかっこよく聞こえるかもしれないが実は相当の力仕事で虚弱体質(?)の我が身には相当きつい。それでもノーストレスで楽しいのは大きな救いではある。

2011年9月8日木曜日

明日からビューリーのオートジャンブルに出かけます

今日は24節気の一つ、白露、野山の草に白い露が宿り始める頃だそうだ。暑かった夏もそろそろ終わりに近づき朝夕は過ごしやすい気候になってきた。古い車を楽しむ季節の到来である。

明日から4泊6日の強行軍であるがイギリスのビューリーオートジャンブルにアンティークの買い付けに出かける。今年で3度目の訪問になるがさすがに3度目ともなると大体どこにどんなお店があるか様子がつかめてきて限られた時間でどのように回るか作戦をあれこれ思案中である。 帰りにちょっとパリによってチャンピオンプラグ時代の仕事仲間に会ってこようと思っている。この友人、膨大な数のチャンピオンのF1プラグのコレクターでもあり、それをきっちりと写真に収めるのが主目的である。
本当はもう少しゆっくりしてきたいところだがおかげさまでアンティークとFIAT600/850の部品の商売が段々と軌道に乗ってきてあまり長期で休みづらくなってきたのが正直なところ、なんだか気楽なリタイアメントライフでなくなってきたような気もするがまあ好きなことをやって忙しいのは良しとするか。
と言うことで商品の出荷は来週(水)まで出来ませんが悪しからずご了承ください。

2011年8月12日金曜日

今時の若い者は---



今日は嬉しい話題をひとつ、

若者の車離れが話題になって久しいが今日は子供たちよりもどちらかと言うと孫たちの世代に近い若さのそれも筋金入りのエンスーが2人揃ってエアコンの効かない車で炎天下やってきた。写真はこの2人が乗ってきた車、しかもプジョーのオーナー氏も実は親子2代の2CV信者で家には動くの動かないの数台の2CVがあるらしい。お二人とも既にこの分野ではかなりの活躍をされている有名人なのでご存知の方も多かろうと思うが今時の若者にもいるんですねこういう方が。 この2人どれぐらいのエンスーかと言うとこの道50年、カー検1級のFIATおじさん相手に古い車の車名の当てっこをしても対等にやり合えるレベルでありまたアメ車、イタ車、フランス車何でもOKの幅広い知識の持ち主である。 また当方と同じく”某”(?)イラストレーターの大ファンなのもうれしい。お2人共今年も2馬力で”車山詣で”をするそうなので10月半ばの再開を約して別れた。

2011年8月11日木曜日

古い真空管ラジオのお話し



相変わらず古い真空管ラジオの売れ行きが好調で確実にOTオートモビリアのベストセラーである。そもそもなぜアンティークラジオを取り扱うようになったかというと、ファイアストーンのオートモビリアを探している時ふと目に留まったのがファイアストーンの真空管ラジオ、当初は販促品かと思ったが、少し調べてみるとこのファイアストーン、決してタイヤだけが商品ではなく戦前から戦後にかけて各種の家庭電化製品から自転車なども(販促品ではなく)立派な商品として手掛けており中でもラジオはトップメーカーの一つだったらしい。興味本位で一つ購入してしばらく聞いた後某オークションにそれでも買った値段よりは多少高く出してみるとあっという間に売れてしまった。以来今まで30個程度販売しただろうか? オートモビリアと違い全く知識もない分野なので出来るだけ程度が良くそのままで良く聞こえる物を探して仕入れるようにしているがそれでも時々輸送中に壊れたりして音が聞こえないのがありその場合はレストアベースとして安く販売しているがどうやらこの種のアンティークラジオを買おうと言う方は真空管ラジオの知識が豊富で自分で直す自信がある方がほとんどのようでどちらかと言うと音が出る出ないは大きな問題ではないらしく、それよりも木製、あるいはベークライト製のキャビネットがしっかりしていて当時物の良い雰囲気が出ているものが良いようである。中には外観をそのままに中身をそっくり新しいラジオに入れ替える方もおられるように聞く。ちなみにベークライトが登場して主流になるのは1950年代でそれ以前は木製が多い。時にはアールデコ調の立派なキャビネットのラジオもあるがさすがにそれらは高価で仕入れるのも少し勇気がいる。写真は最近入荷した2点で木製キャビネットの方が1940年代のファイアストーン、ベークライト製は50年代のゼニスである。ファイアストーンの方はコンディションも抜群で特に手を入れなくとも柔らかい良い音質で多くのAM放送を聞く事が出来る(感度は今のラジオよりも良いぐらいである)。ゼニスの方は残念ながら何かの問題で現状では音は聞こえないが時代感のある外観が売りで値段も安い。興味のある方は是非当ホームページ、アメリカンコレクションのところを覗いてみて頂きたい。

2011年8月10日水曜日

プロカメラマンと言うお仕事



猛烈に暑かった今日、嬉しい来客があった。 2輪の各誌に寄稿している現役ライダーのI氏とカメラマンのO氏が最新のドカッティで我家の古いイタリア車と一緒に写真をという企画で御殿場、箱根でのロードテストの途中に立ち寄って頂いた。 嬉しいツーショットは近日発売の2輪誌に登場する予定でここでフライングするわけにはいかないのでプロカメラマンの仕事ぶりについて一言。プロに写真を撮ってもらうのは決して初めてではなく(古い車の話でFIATおじさんではない)今まで何度もお世話になってその都度丁寧な仕事ぶりとさすがのテクニックにいつも感心している。またレースカメラマンという職業がそのカタカナ文字からイメージされるカッコいい花形職業とは裏腹に、危険かつ相当なな肉体労働であることも過去の10年以上に及ぶレースサービスの経験から十分に承知している。聞けばOカメラマンはこの道30年、2輪を中心に取り続けているそうで正直なところはっきりした記憶はないがどうやら当時(30年近く前の話ですみません)チャンピオンプラグのレースサービスとして全日本全戦をカバーしていた当方は何度もお目にかかっていたようだ。例えばあの台風の中の鈴鹿8耐行ってましたか、とお尋ねすると”はい,勿論”との答え、あの時は降り続く雨でカメラマン各氏が1時間おきくらいにチャンピオンのサービスブースにやってきてはメインテナンスを終えてまた戦場に出かける、といった具合で今でも一番記憶に残っているレースである。話を元に戻すと、外は炎天下、ガレージの中も蒸しぶろ状態、かつ中は暗く綺麗な写真を撮るのは素人目にも容易ではない状況の中、何度もストロボの設定や背景の修正など本当に納得のいくまで滝のような汗をかきながら延々と繰り返す忍耐と努力に本当に頭が下がる。これがプロの仕事かと尊敬の念を新たにした。やっとOKが出た写真はそれは見事な出来栄えで某2輪誌に登場するのを楽しみにお待ちいただきたい。

2011年8月8日月曜日

Good Bye Alfa145

今日は24節気の一つ立秋、そろそろ朝夕に秋風を感じ始めるころである。6月末頃の猛暑の際はこの夏は一体どうなる事やら、と心配もしたが梅雨が明けてしばらくした後はどうしたことか涼しい日々が続いておかげさまで夏バテはせずに済みそうである。テレビを見ていると今年は都会ではいつになく蝉の声が少ないのだとか、ここ中井ではそんなことは全くなく毎日大合唱、時々は木々の中で自分の陣地が取れなかったのか窓の網戸に陣取って鳴く蝉もいる。 話は変わるが先週の土曜日にアルファ145が次の幸せなオーナーのもとに嫁いでいった。我が家に居た期間はわずかだったがアルファツインカムの快音を響かせて東奔西走の大活躍、予想に反して(?)ノートラブルの優等生だった。チャーミングポイントは小さなボディにもかかわらず荷物が一杯入る事、助手席の前が大きくえぐれていて開放感があることなど、要注意は車高が低くフロントエアダムをすぐに引っかけることと、これは車のせいではないがたまにはゆっくり静かに走りたい時には少し疲れるかな、と言ったところであろうか、新しいオーナーのもとでの幸せを祈る。