2016年2月29日月曜日

新東名トヨタまで開通、でもちょっと期待と違う??

 先週の週末名古屋で開催された名古屋旧車天国に出店してきた。今回は待望の新東名浜松いなさJCからトヨタ東JCが開通してから初めての名古屋詣ででこれで豊橋、蒲郡近辺の渋滞から解放され自宅から金城埠頭の会場までドア to ドアで2時間30分を切れるかと大いに楽しみにして(土)の朝5時過ぎに出発した。1枚目の写真はいなさジャンクションの案内板でここまでは予定どうり1時間35分程度、今まではここから三ヶ日に出たのだが今回は直進、
 人生初めての道路に期待を膨らませて突入したが新区間に入ってほんの1−2分で”あれ、なんか違う!!”と感じた。そう、路肩の広さがいなさ以東の新東名とまったく違う(非常に狭い)のだ。もしかしたら車線も狭いかもしれない。少し走ってトンネルに入ると事態はもっと悪化してなんとまったく路肩のない2車線いっぱいのトンネルが何本かあるではないか!!2枚目の写真はそのうちの一つ。数年前に新東名が開通した際にあまりの走りやすさに感激し当然のことながら今回開通部分に関しても同じかあるいは新しいだけにより一層の走りやすさを期待していたのだが!? 今回開通した部分、中でもいなさから新城近辺は山深く当方も建設中の新東名の下を何度も走ったことがあり相当な難工事であったことは容易に想像できるし色々な制約があったのは疑う余地はないがこれは田舎の道路ではない、平成28年開通の日本の大動脈、新東名ですよ、路肩のまったくない2車線ギリギリのトンネルはないと思うが如何なものか? 正直なところ100KMを守って走っている車は少なくこれが逃げ場のないトンネルにご承知の通りの交通量で飛び込んでいく状態は想像するだけで恐ろしい。万一トンネル内で止まってしまっても車を寄せるところは全く無い(人間が避難できる側道はある)のである。大事故が起こら無いように祈りたい。

2016年2月25日木曜日

メルセデスベンツV280

遠距離のイベント出店用の車をメルセデスE240ワゴンから13年落ちのV280に変えたことは少し前に書いた。それから2ヶ月、2000KM程度を後にしたので印象を書いてみたい。 2オーナーで走行距離わずか5万キロちょっと、程度良好、メインテナンスもずーとディーラーできっちり行われてきた個体でとりあえず悪いところなし、の状態でやってきた。今までワンボックスには全く興味もなかったのでよく知らなかったがこの車の”売り”は良くも悪くもリアのエアサスらしい。これが耐久力不足でなんと普通の金属バネへのコンバージョンキットが比較的低価格ででているらしい。実は年末の帰省の最中に早速このエアサスのポンプが動かなくなり約1000KMをほとんどシャコタン状態で走るはめになった。修理に出す前に念のためと思ってフューズを調べたら切れていて交換したら治ったがフューズが切れるということは何か原因があるのだろう。ただメルセデスの名誉のために付け加えるとちゃんと作動している限り
非常に乗り心地がいいし重い荷物を積んでも車高は一定に保たれるのでその価値はあると思う。そもそもメルセデスはエアサスに50年以上の経験があるはずでそれがトラブルの元になるというのはどういうことだろう? あとこの車の美点としてはFFにした結果低くワイドな荷物室、圧倒的な荷物収納力、高い着座位置と真四角のボディのおかげの運転のしやすさ(四隅の見切りが良い)などであろうか。今のところ特に気に入らない点はないが強いて言えばエアコンが巨大な室内空間に追いついていない感じでヒーターがあまり聞かない。まだ夏は経験していないが前オーナーがクーラーはあまり効かないですよ、と言っていたので多分夏は暑いのであろう。



2016年2月23日火曜日

横浜ノスタルジック2Days

 先週の週末(土)(日)の2日間、パシフィコ横浜で行われた横浜ノスタルジック2Days に出店してきた。今回で多分5回目の出店と思うが最初の2年は日曜のみのスワップミート出店から始まりここ3年は業者ブースで出店している。初日の(土)はあいにくの春の嵐、とかで屋内で出店していると様子は分からないが外はかなりの雨と風だった様でお客様の入りも底調だったようだが(日)は天気も良く多くの人で賑わっていた。
 2枚目の写真は会場で見つけた珍車、オリジナルのルーチェロータリークーペと思う(違っていたらごめんなさい)。当時ベルトーネがデザインした車で日本のメーカーがこぞってイタリアンデザインに走った時代のマツダの回答である。ちなみに他のメーカーはというと公式に認めている場合とそうでない場合があるようだが日産はピニンファリーナ、いすゞはギア、日野はミケロッティ、ダイハツはヴィニャーレ、プリンスはスカリオーネ、といった具合でトヨタを除く主要メーカーすべてがなんらかの形で
イタリアのカロッチェリアと関係を持って
いたことになる。中でも傑作はご存知117クーペ、量産化には至らなかったがコンテッサスプリント、そしてこのルーチェロータリークーペではなかろうか? 当時の日本メーカーとイタリアカロッチェリアの力の差を改めて感じる。3枚目は会場の一角、佐原画伯のギャラリー。古き良きアメリカの自動車シーンを描くトップアーティストで年が近いこともあって昔からの熱烈なファンである。
常々思っていることだがこうしたシーンから受ける感激、あるいはそうしたシーンを捉える感性は多少の差はあれ多くの人が同じではないかと思う。だからこそこうした絵を見たときに多くのファンが感激する訳だが問題はその感激を水彩であれコンピューターであれキャンバスの上に再現できる技術でこれこそが芸術家としての才能、力量ではなかろうか。私も御多分に洩れず学生時代はテスト用紙の裏側を車の絵で埋め尽くしイラストレータの真似事をしてみた時代もあったが感激を再現する才能は全くなかったようでもっぱらこうした才能に恵まれた方の絵を拝見して感激する側に回っている。

2016年2月13日土曜日

アメリカ車が輝いていた時代

 今回はアメリカ車が輝いていた時代、というわけで59年、61年、そして63年の代表的な車種のカタログを集めてみた。1枚目はテールフィン時代の頂点、59年のキャデラックコンバーティブル。50年代初めごろに芽生えたテールフィンは年々成長しこの59年に頂点に達した。かのエルビスプレスリーが乗っていたのも59年のピンクのキャデラックである。さすがにこのテールフィンはやりすぎと思ったのか60年モデルでは少し低くなった。2枚目は61年のフオードサンダーバード、試作車レヴァカーのスタイルを取り入れたもので通称ロケットサンダーと呼ばれるボディデザインは今でも評価が高い。日本でも当時プロ野球の長島選手をはじめ多くの有名人が乗っていた車である。3枚目は63年のポンティアックボンヌヴィル。それまで”おばあさんの車”的な地味なイメージが強かったポンティアックをワイドトレッドでスポーツイメージを前面に出してイメージ転換を図った最初の年でこの年にフルサイズのスポーツタイプ、グランプリがデビュー、
翌年にはインターメディエイトベースの名車GTOが誕生する。
縦型4燈ライトの美しいデザインでこの後段々にウエストを絞ったコークボトルラインに移っていくが私の最も好きなアメリカ車のデザインの一つである。この3枚のカタログに共通するのはいずれもカラー写真ではなく美しいイラストで描かれていることでアートとしても十分に通用する美しさだと思う。私が初めてアメリカの土を踏んだのは1978年ですでにダウンサイジングが始まっていたがタイムマシーンがあるのなら60年代初頭の輝いていた時代のアメリカをこの目で見てみたいと思う。


2016年2月12日金曜日

パリの3日間

 毎月のように海外にアンティークの買い付けに出かけているとレポートするといかにも楽しい生活を送っているように思われそうだが実態はそんなにカッコ良いものでも楽なものでもない。今回はパリの3日間をご報告したい。本当は2泊で切り上げたいのだがなぜ3日間かというと飛行機のディスカウントチケットに最低現地で3泊という訳の解らないルールがあって仮に2泊にすると運賃が一気に3倍以上になってしまうのである。なぜこんな馬鹿げたルールがあるのかご存知の方は是非教えていただきたい。という訳でイギリスでもあるいはパリでも当方の旅行は通常3泊5日となる。次にホテル、ヨーロッパの大都市のホテルは一流ホテルに泊まると驚くほど高いが最近では日本と同じく必要最小限の設備を備えた近代的なビジネスホテルチェーンがあり当方はその中で ヨーロッパ全体に展開しているibis (イビスと読むらしい)というホテルチェーンを利用している。アメニティーは何もないがベッドは広く快適で Wi-Fi も無料で利用できる。値段は場所によるが
パリでも少し端の方であれば朝食付きで¥10,000前後で泊まれる。食事はどうするかというと夕食はパリにはブラッセリーと呼ばれる簡単なレストラン(日本の居酒屋、といったところ)が多くあり1人でも入りやすく価格も安い。昼はパン屋さんが美味しそうなパンやサンドイッチを売っているのでそれを買ってきたりマクドナルドにしたり、といったところである。通常パリに出かけるときはDay 1はレトロモビルやトイマニアなどのイベントに出かけるが残り2日はパリの蚤の市回りとなる。 Day2 は2枚目の写真で南の端バンブスのマーケットで毎週(土)(日)に開催される。自動車関連のアンティークは多くはないが時々掘り出し物も出てくる。Day3は北の端、有名なクリニャンクールで毎週(土)(日)(月)の3日間オープン、ここはバンブスと異なり常設のお店が迷路のようにあり特に家具類が多い。3枚目の写真はご存知の方も多いかと思うがこのクリニャンクールでピンバッジとキーホルダーを専門に扱っているお母さんと娘さんのお店(それぞれ別にやっている)のうちのお母さんの方である。2人とも簡単な英語を話すし何よりも親切なのでちょっとおしゃれなパリのお土産に是非立ち寄って見られると良いと思う。Day3 は通常3時ごろに終了しその日の夕方の飛行機で帰国する。


2016年2月9日火曜日

2016年 パリレトロモビル

先週の(金)パリ南西部の見本市会館(正式な呼び名は知らない)で5日間にわたって行われていたレトロモビルに出かけてきた。初めて訪れたのはもう20数年前になると思うが当時は大規模スワップミートの感が強く掘り出し物も多くあり始めてチャンピオンのプライミングプラグと呼ばれる特殊なスパークプラグ の実物を見つけて興奮した面持ちで購入したのを今もはっきりと覚えている。時は移りてこれらを販売する身となって早7年目、以来毎年出かけているが今では世界有数のクラシックカーイベントに成長し珍しい物、良い物はもちろん多くあるがとにかく値段が高くて手が出なくなってしまった。 この辺はアメリカのペブルビーチと同じでもはや我々のようなポケットの軽いエンスージアストが物を買いに行く所ではないらしい。救いは入場料でペブルビーチのように高くなく20ユーロ程度なのでこれはまあリーズナブルかと思う。今年は残念なことに毎年珍しいフランスのブリキやプラスチックモデルでお世話になっていたモナコの老夫婦が見当たらない。そんな訳でこれは、と思う掘り出し物はあまりなかったがそれでも出かけていけば新しい出会いもあるもので昔シトロエンで働いていた、というおじさんから当時のシトロエンの販促モデル(プロモかー)を何台か譲ってもらうことができた(これについては別に記したい)
2枚目の写真は今回の実車で一番興味深かったものでピニンファリーナが FIAT850 のパワートレインを使って作り上げた試作車、当時ピニンファリーナにしては格好が??と言われたりしたが実車はなかなかスタイリッシュだった。3枚目はオートモビリアを売るショップの一つ、大体こんな感じでお金さえ出す気なら本当に色々なものがあり仕事を離れて見ているのは夢でも買えそうにない実車よりもむしろこちらの方が楽しいかもしれない。


2016年2月2日火曜日

JCCA ニューイヤーミーティング

 1月31日、天気予報が見事に外れて暖かく晴れた日曜日、恒例のJCCA ニューイヤーミーティングに出店してきた。以前は TACS ニューイヤーとしてクラシックカーーファンにとっては年初めの絶対に外せないイベントでそもそも私がクラシックカーの(泥沼?)の世界に足を踏み入れたのも40年近く前、雪の東京プリンスホテルで開かれた第1回のミーティングを見物して涙が出るほどの感激を味わったのが大きなきっかけである。今と違ってイベント自体がごく限られていたのもあるがペガソやマセラティ5000など夢のような車が現れた時の感激は今もはっきりと脳裏に焼き付いている。以来第2回からはFIAT850と共にほとんど皆勤であるが時は移りて今では我々の年代のオールドボーイが感激するような車は少なくなってしまい当方もアンティークを売り始めて商売の方に忙しく出席はしてもあまり車を見る時間も無くなってしまった。以前はそれでも2CVで出かけてその前でお店を開いていたが昨年始めてオートジャンブルテントで出店したところあまりに
快適で結局今年も古い車は諦めてオートジャンブルテントでの出店となった。写真の2枚目は当方のブースの一角で OTオートモビリアが海外のエコバッグ屋さんに変身(?)の図、今ではネットでも多くの海外のエコバッグが売られているがこれをイベントで売り始めたのは多分我々が最初と思う。3枚目は珍しい三菱500。当時の日本政府の国民車構想に応じて三菱が開発した車だが500CCという中途半端な排気量が災いしてかあまり人気が出なかったと記憶している。