2011年8月12日金曜日

今時の若い者は---



今日は嬉しい話題をひとつ、

若者の車離れが話題になって久しいが今日は子供たちよりもどちらかと言うと孫たちの世代に近い若さのそれも筋金入りのエンスーが2人揃ってエアコンの効かない車で炎天下やってきた。写真はこの2人が乗ってきた車、しかもプジョーのオーナー氏も実は親子2代の2CV信者で家には動くの動かないの数台の2CVがあるらしい。お二人とも既にこの分野ではかなりの活躍をされている有名人なのでご存知の方も多かろうと思うが今時の若者にもいるんですねこういう方が。 この2人どれぐらいのエンスーかと言うとこの道50年、カー検1級のFIATおじさん相手に古い車の車名の当てっこをしても対等にやり合えるレベルでありまたアメ車、イタ車、フランス車何でもOKの幅広い知識の持ち主である。 また当方と同じく”某”(?)イラストレーターの大ファンなのもうれしい。お2人共今年も2馬力で”車山詣で”をするそうなので10月半ばの再開を約して別れた。

2011年8月11日木曜日

古い真空管ラジオのお話し



相変わらず古い真空管ラジオの売れ行きが好調で確実にOTオートモビリアのベストセラーである。そもそもなぜアンティークラジオを取り扱うようになったかというと、ファイアストーンのオートモビリアを探している時ふと目に留まったのがファイアストーンの真空管ラジオ、当初は販促品かと思ったが、少し調べてみるとこのファイアストーン、決してタイヤだけが商品ではなく戦前から戦後にかけて各種の家庭電化製品から自転車なども(販促品ではなく)立派な商品として手掛けており中でもラジオはトップメーカーの一つだったらしい。興味本位で一つ購入してしばらく聞いた後某オークションにそれでも買った値段よりは多少高く出してみるとあっという間に売れてしまった。以来今まで30個程度販売しただろうか? オートモビリアと違い全く知識もない分野なので出来るだけ程度が良くそのままで良く聞こえる物を探して仕入れるようにしているがそれでも時々輸送中に壊れたりして音が聞こえないのがありその場合はレストアベースとして安く販売しているがどうやらこの種のアンティークラジオを買おうと言う方は真空管ラジオの知識が豊富で自分で直す自信がある方がほとんどのようでどちらかと言うと音が出る出ないは大きな問題ではないらしく、それよりも木製、あるいはベークライト製のキャビネットがしっかりしていて当時物の良い雰囲気が出ているものが良いようである。中には外観をそのままに中身をそっくり新しいラジオに入れ替える方もおられるように聞く。ちなみにベークライトが登場して主流になるのは1950年代でそれ以前は木製が多い。時にはアールデコ調の立派なキャビネットのラジオもあるがさすがにそれらは高価で仕入れるのも少し勇気がいる。写真は最近入荷した2点で木製キャビネットの方が1940年代のファイアストーン、ベークライト製は50年代のゼニスである。ファイアストーンの方はコンディションも抜群で特に手を入れなくとも柔らかい良い音質で多くのAM放送を聞く事が出来る(感度は今のラジオよりも良いぐらいである)。ゼニスの方は残念ながら何かの問題で現状では音は聞こえないが時代感のある外観が売りで値段も安い。興味のある方は是非当ホームページ、アメリカンコレクションのところを覗いてみて頂きたい。

2011年8月10日水曜日

プロカメラマンと言うお仕事



猛烈に暑かった今日、嬉しい来客があった。 2輪の各誌に寄稿している現役ライダーのI氏とカメラマンのO氏が最新のドカッティで我家の古いイタリア車と一緒に写真をという企画で御殿場、箱根でのロードテストの途中に立ち寄って頂いた。 嬉しいツーショットは近日発売の2輪誌に登場する予定でここでフライングするわけにはいかないのでプロカメラマンの仕事ぶりについて一言。プロに写真を撮ってもらうのは決して初めてではなく(古い車の話でFIATおじさんではない)今まで何度もお世話になってその都度丁寧な仕事ぶりとさすがのテクニックにいつも感心している。またレースカメラマンという職業がそのカタカナ文字からイメージされるカッコいい花形職業とは裏腹に、危険かつ相当なな肉体労働であることも過去の10年以上に及ぶレースサービスの経験から十分に承知している。聞けばOカメラマンはこの道30年、2輪を中心に取り続けているそうで正直なところはっきりした記憶はないがどうやら当時(30年近く前の話ですみません)チャンピオンプラグのレースサービスとして全日本全戦をカバーしていた当方は何度もお目にかかっていたようだ。例えばあの台風の中の鈴鹿8耐行ってましたか、とお尋ねすると”はい,勿論”との答え、あの時は降り続く雨でカメラマン各氏が1時間おきくらいにチャンピオンのサービスブースにやってきてはメインテナンスを終えてまた戦場に出かける、といった具合で今でも一番記憶に残っているレースである。話を元に戻すと、外は炎天下、ガレージの中も蒸しぶろ状態、かつ中は暗く綺麗な写真を撮るのは素人目にも容易ではない状況の中、何度もストロボの設定や背景の修正など本当に納得のいくまで滝のような汗をかきながら延々と繰り返す忍耐と努力に本当に頭が下がる。これがプロの仕事かと尊敬の念を新たにした。やっとOKが出た写真はそれは見事な出来栄えで某2輪誌に登場するのを楽しみにお待ちいただきたい。

2011年8月8日月曜日

Good Bye Alfa145

今日は24節気の一つ立秋、そろそろ朝夕に秋風を感じ始めるころである。6月末頃の猛暑の際はこの夏は一体どうなる事やら、と心配もしたが梅雨が明けてしばらくした後はどうしたことか涼しい日々が続いておかげさまで夏バテはせずに済みそうである。テレビを見ていると今年は都会ではいつになく蝉の声が少ないのだとか、ここ中井ではそんなことは全くなく毎日大合唱、時々は木々の中で自分の陣地が取れなかったのか窓の網戸に陣取って鳴く蝉もいる。 話は変わるが先週の土曜日にアルファ145が次の幸せなオーナーのもとに嫁いでいった。我が家に居た期間はわずかだったがアルファツインカムの快音を響かせて東奔西走の大活躍、予想に反して(?)ノートラブルの優等生だった。チャーミングポイントは小さなボディにもかかわらず荷物が一杯入る事、助手席の前が大きくえぐれていて開放感があることなど、要注意は車高が低くフロントエアダムをすぐに引っかけることと、これは車のせいではないがたまにはゆっくり静かに走りたい時には少し疲れるかな、と言ったところであろうか、新しいオーナーのもとでの幸せを祈る。