私がラリーの世界にのめり込んだのは1970年前後、昭和のラリーの全盛期の頃、デビュー戦はJMC 静岡ラリーでした。人様よりちょっとだけ早めに始めたせいで多くの自称”弟子”がいるがその中で出世して1987年と90年のモンテカルロラリーにナビとして挑戦した強者がいる。当時全国ネットのテレビでも放映されたそうだが先日改めて一緒に当時の戦いのビデオを見る機会があった。アウディクワットロやランチアインテグラがトップコンテンダーだった当時で当時から言われていたことだがめちゃくちゃ早いのは上の方の20台程度だけであとは似たようなレベルかずっと遅い、参加することに意義あり、のチームが大半で我が日本チームもSSでは30位前後のタイムをコンスタントに出していたそうです。ドライバーは当時のラリーファンなら誰もが知る名前で当然と言えば当然だが遠距離参戦のハンディ、を考えると実力はもうちょっと上だったように思う。私自身は3重苦(才能無し、体力無し、銀行預金無し)、あったのは時間の余裕と情熱、練習の機会だけで当時の全日本クラスの一番下でかろうじてシードをもらえる程度までしか行けなかったが懐かしい思い出です。
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