前回に引き続き創生期の日本GPの思い出をつづってみたいと思います。
ピーターウォーのロータス23の異次元の速さにすっかり参ってしまった少年は翌年の第2回GPも父親にせがんで見に行くこととなりました。
この年はメインの招待レースはフォミュラージュニアで戦われることになり(戦前のオープンホイールレーサーを別とすれば)初めて葉巻型をしたフォミュラーカーが日本の地を走ることになりました。 昨年は小排気量故同じロータス23ながらピーターウォーに及ばず2位となったマイケルナイトがブラバムFJを駆り見事ロータス27に乗るピーターウォーに雪辱を果たしました(実戦向きのブラバムに比べロータス27はやや理想主義的で鈴鹿に合わせたセッティングが難しかったかもしれません)。GT1クラスでは後にホンダF1のデビュードライバーとなるロニーバックナムが見事優勝(実際はマイケルナイトのマルコスが優勝したがフライングスタートでペナルティーを課せられ5位に転落)、ホンダSの性能と信頼性を見せつけました。
GT2は式場壮吉のポルシェ904と生沢徹のスカGの伝説となったレースです。実は鈴鹿に着いた時はこのレースがすでに始まっていてちょうど生沢が式場を抜いたラップでした。今考えれば(いくら赤バッジとはいえ)そもそもファミリーカーベースのスカイラインGTとレース用に開発されたサラブレッドのポルシェ904ではまともな戦いになるハズはないのですが当時中学生の自動車少年にはそんなことは知る由もなくトップを走るスカGの勇姿にただ感動しました。
これ以外には特に記憶に残っているレースはありませんが昨年の反省からか十分なレース準備をしたプリンスチームの強さが印象に残っています。
この年の観客数は記憶にありませんが昨年と大差ない大観客だったのではないかと思います。
第3回は舞台が新規にオープンなった富士スピードウエイに移ります。
”FIATおじさん”たる所以のFIATのお話がなかなか出てきませんが次回もう一度日本GP思い出話にお付き合いください。
FIATおじさん
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