今日はアメリカ合衆国の独立記念日、4th of July です。 毎年この日がめぐってくる度に32年前、初めてアメリカの土を踏んで一人で過ごした7月4日のことを思い出します。 1978年、ベトナム戦争に疲れ、わが世の春を謳歌した60年代の繁栄にうす雲がかかり始めた頃、それでも当時の日本とは比べ物にならない大らかで豊かなアメリカがまだありました。アメリカの会社に職を得て研修の為初めての本社出社の日、迎えに来てくれたVPのクライスラーニューヨーカーの広大なボンネットのはるか先にゆったりと揺れるオーナメントの輝きは今も忘れません(当時最上級のインペリアルのブランドは既になくニューヨーカーがクライスラーグループの最高級車でした)。6月中旬から7月20日ごろまで約35日間オハイオ州トレドという町に滞在し、その間に7月4日の独立記念日がありました。ホテルの客はほとんどなくがらんとしたレストランでウエートレスに下手な英語で Happy Independent Day !! とお祝いの言葉をかけたのを覚えています。あれから32年、時は移りて最近のアメリカの大都市のドライビングマナーの低下は目を覆うばかりです。道を間違えて割り込みをしても笑顔で譲ってくれたあの大らかなアメリカはどこに行ってしまったのでしょう?今でも大好きなアメリカ、 今では思い立ったらいつでも出かけられますがひょっとしたら アメリカのテレビドラマに胸をときめかしアメリカ旅行など夢のまた夢であったあの頃の方が幸せだったのではないかな--- などと思ってしまいました。
懐かしい写真を少しご紹介しましょう(全部解ったあなたは相当アメリカかぶれです)
サーフサイド6とサンセット77までは何となく
返信削除判りましたが、3枚目で頭を捻っています。
僕の世代は刑事スタスキー&ハッチくらいまで
判りますが、これはなんだっけ?
あれはグラントリノでしたね。
32年前のアメリカ渡航、興味深く読みました。
イーグルスのホテルカリフォルニアの翌年、
ベトナム戦争に傷ついたアメリカでしたが、まだ
ビッグドリームの憧れがありました。
僕は翌年大学入学、ジャズを1から聴き始め、
クロスオーバー、フュージョンに至るまでの道を
「勉強」したことがいまでも懐かしいです。
深夜に聴くビル・エヴァンスさえあれば、
何も要らなかったあの頃の渇望と満足。
少し懐かしい気持ちにさせていただき感謝です。
画像の中にヒントの文字が。。。。
返信削除サンセット77は母親と一緒に良く見ていました。
粋な二人と軽いクッキー。なんて記憶が有ります。
アメリカが輝いていました。
ルート66は時々見ていたとうっすらと記憶が。
サーフサイド6は名前だけ頭の片隅に残っていたくらいです。
何せ幼稚園に通っていた世代なので。
初めてラグナセカのヒストリックオートモビルフェスティバルを見に行きました際、家族三世代でエンジョイされている様子、国歌が流れている時のアメリカ国民の姿に感動を覚えました。
Kotaroさん、
返信削除コメントありがとうございます。3枚目はSR311さんが書いて頂いている通りルート66です。ずっと旧型(61-62年)のコルベットを使っていたと思いますが番組が終了する6カ月ぐらい前でしょうか63年のステイングレイが鮮やかにデビューしました。 "Get your kicks on Route 66 ---"
SR311_38さん、
コメントありがとうございます。そうですよね、親子3代でのクラシックカー三昧、これも1900年代の初頭から車と共に過ごしてきたアメリカならではでしょう。 ぺブルビーチの1週間前ネバダ州のリノでHOT AUGUST NIGHT と呼ばれる古いアメリカ車の祭典があります。ぺブルビーチと違ってこれはいたって庶民派のお祭りですが毎年ピンクやブルーメタリックの50年代のオープンに喜色満面で乗っている当時さぞかし美人だったであろう(?)おばさんたちの姿を見るにつけアメリカの車文化の奥の深さを感じます