昨日のBMWに続いて今朝はわが家の農耕車,
この車、奥方の毎日の足として畑仕事の道具一式を積んで大活躍、そういえば最近エンジンをかけてすぐにエアコンを入れるとエンジンが止まってしまう、たまにかかりが悪い、等の訴えがあったのですがどうせ毎日チョイ乗りばかりでプラグがかぶってきた程度だろうと思っていました。事実先日かからないと言うのでアクセルを一杯踏んでセルを回すと一発で始動、それではカブリをとろうと裏山で少しエンジンを回してハイこれでOK、一件落着にしていました。 ところが今回はアクセルを踏もうがあおろうがたまにブブッと来るのですが後がどうしても続きません。この車横置きエンジンで3番4番のプラグは簡単に抜けますので点検するも特に異常なし、しいて言えばこれだけセルを回したのにプラグが全く濡れていない、つまりガスが来ていないってこと? ただ経験から言うとガスが来ていない場合は時々ブブッとハゼることはなく原因はどう見ても電気と思えるのですが。 時間が迫っているのでとりあえず別の車に乗り換えて所用をこなし午後に再挑戦、まずデスビを点検するも異常なし、それでは意を決して手の入りにくい1番、2番のプラグを何とか抜いてみてびっくり、デポジットがひどくついてほとんどギャップがない状態(!!)、少しデポジットをとってみたのが写真の状態、何だか碍子先端がオーバーヒートして溶けているようにも見えます。 このデポジット典型的なオイルデポジット、つまりオイルコントロールに問題があってオイル上がりしている時に出てくるデポジットに見えますがでも1番、2番同時にそんなことが起こる(?)、それに回転をあげてもマフラーからは特にオイルが燃えているような排ガスは出ないし(??) それではプラグがオーバーヒートして溶けかかった状態? このツインゴ、指定はたぶん5又は6番相当程度の熱価と思いますが今は某国産メーカーの4番を入れています。ちなみに私、これでもプラグを生活の糧として30年間働いてきた身、1-2段階指定よりも焼け型は十分承知していますが奥方のチョイ乗り専用、この程度の方が良いだろうと入れたものです。このプラグのワイドレンジの実力はたぶん日本中の誰よりもよく知っているつもり、裏山で多少頑張った程度で溶けるとは到底思えません。 ということで根本的な原因は断定できていませんが結果として1,2番プラグの不良(某メーカーの名誉の為に、決してプラグのトラブルではありません。熱価選定ミスかオイルコントロールのトラブルです)が原因の始動不良でした(一本だけならたぶんかかるのですが2本アウトでは時々ブブッと来ても続かないのは当然でしょう)。 プラグはやはりエンジンの中を見る最大の手掛かり、面倒がらずに4本きっちり点検すべきでした。 それでもここまで文句も言わず頑張ったツインゴにお詫びに新品のイリジウム4本を奢ってやりました。 古い車に乗っているみなさん、定期的にプラグの点検をしましょう!!
2010年7月25日日曜日
JAFのお世話になりました !!
お台場のクラシックカーコンクールデレガンスに出かけようとBMW320i で家を出ました。 プジョー309とどちらで行こうか迷ったのですがあまりの暑さにたぶんBMWの方が信頼性が高いと思ったのですがーーー. 休日の東名を“走るシケイン”をかき分けながら快適に飛ばしていたら厚木インターのところで急にバッテリーチャージランプの警告灯が点灯、同時にエアコンが効かなくなりました。何が起こったのかあれこれ考えているうちに水温計の針が急上昇、ことここに至って事の重大性を認識、祈る気持ちで蛯名サービスエリアへ、込んでいるあたりを避けトラックパーキングの広いところでエンジンを切りました。 水温計は上限まで振り切りましたが辛うじて蒸気が噴き出す直前でストップ、たぶんシリンダーヘッドは大丈夫でしょう。 ボンネットを開けて少し見るうちに原因判明、補給類の駆動ベルト切れでした。 あと1KM手前で起きていたら当然厚木で出ていたのですが、ここは蛯名、ということは横浜まで行かない事にはどうすることも出来ず観念してJAFにSOSとなりました。 私、42年間JAFに会費とライセンスの更新料を払い続けていますのでたまに助けに来てもらってもバチは当たらないのですがどういう訳か今年はこれで3回目、JAFさんごめんなさい !! まあ3回やればもう当分はないでしょう。 皆さんご経験おありと思いますがトラぶった時に来てくれるJAFのサービスマン、神様のように見えますネ。 見事な手さばきでものの10分ほどで牽引の準備完了、トラックに同乗して横浜インターを出てすぐのBMWのディーラーまで連れて行ってもらいました。
今回勉強したこと。 ETCカードで高速に入った場合その処理はどうするかというと一般の料金所でカードを渡してマニュアル処理で通常のETC料金を払って処理完了となるのだそうです。
BMWのディーラーの診断ではベルトは在庫があるがテンショナーも交換が必要、ただし在庫はなく入院となり、電車での帰宅と相成りました。 古いFIATやプジョーが壊れても腹も立たないのですがせっかく信頼性ありそうだからとチョイスしたBMWが壊れると何となく裏切られた気分(!?)、もっともきっちりとしたメインテナンスもしないで文句を言う筋合いではないのですが。 何よりも良かった事はこのトラブルがお客さまに販売した後ではなく今自分で運転しているときに出てくれたこと、感謝!! 皆さん猛暑日続きでバテているのは人間ばかりではありません、愛車の日頃の点検に注意しましょう。 ということで今年のコンクールデレガンスは残念ながら見逃してしまいました。
今回勉強したこと。 ETCカードで高速に入った場合その処理はどうするかというと一般の料金所でカードを渡してマニュアル処理で通常のETC料金を払って処理完了となるのだそうです。
BMWのディーラーの診断ではベルトは在庫があるがテンショナーも交換が必要、ただし在庫はなく入院となり、電車での帰宅と相成りました。 古いFIATやプジョーが壊れても腹も立たないのですがせっかく信頼性ありそうだからとチョイスしたBMWが壊れると何となく裏切られた気分(!?)、もっともきっちりとしたメインテナンスもしないで文句を言う筋合いではないのですが。 何よりも良かった事はこのトラブルがお客さまに販売した後ではなく今自分で運転しているときに出てくれたこと、感謝!! 皆さん猛暑日続きでバテているのは人間ばかりではありません、愛車の日頃の点検に注意しましょう。 ということで今年のコンクールデレガンスは残念ながら見逃してしまいました。
2010年7月17日土曜日
FIAT850 初期型クーペ
久々に“FIATおじさん”らしい記事を一つ。 先日初期型の850クーペが訪ねてくれました。
この初期型クーペは私にとってはなんと言っても”特別な1台”なのです。 前回書いた80年代に筑波を走ったのも、始まったばかりのTACSニューイヤーミーティングで子供たちと生まれたばかりの子犬をつれて原宿表参道をパレードしたのもこのクーペでした。でその車はどうなったかというと初めての古い車、厚化粧の下はどうなっているかなどということは夢にも考えず、気が付いた時は時すでに遅しで外せるだけの部品をはずして悲しいお別れとなってしまいました。 ところがこのクーペがいなくなると猛烈にさびしくなり岡山の方に無理を言って譲っていただいたのが現在の白いクーペです。 どうしてもスパイダーの方に目が行きがちですが社内デザインと言われるクーペもこうして新旧2台並んで見ると中々スタイリッシュでしょう。60年代半ば戦後ようやく復興して少しづつ余裕の出てきたイタリアのヤングファミリーが後席に子供を放りこんでドライブに出かける光景が目に浮かぶようです。この初期型のオーナーS氏、SHCCジムカーナのお立ち台目指してどうやら心臓移植を目論んでおられるようで今回も903ccのxxxはどうなっているのかと偵察に(??)見えたようです。またまた強力なライバルが現れそうでFIAT850での1-2フィニッシュを目指して頑張りましょう。最後に落ちを一つ、この写真を撮ろうと白いクーペのエンジンをかけようとしたらなんとクラッチが貼りついているではありませんか。これはこの車の持病の様なもので治療法はいたって簡単、後ろに何もない事を確認してギアをバックに入れたままエンジンをかければたいていエンジンがかかった瞬間に剥がれます。
この初期型クーペは私にとってはなんと言っても”特別な1台”なのです。 前回書いた80年代に筑波を走ったのも、始まったばかりのTACSニューイヤーミーティングで子供たちと生まれたばかりの子犬をつれて原宿表参道をパレードしたのもこのクーペでした。でその車はどうなったかというと初めての古い車、厚化粧の下はどうなっているかなどということは夢にも考えず、気が付いた時は時すでに遅しで外せるだけの部品をはずして悲しいお別れとなってしまいました。 ところがこのクーペがいなくなると猛烈にさびしくなり岡山の方に無理を言って譲っていただいたのが現在の白いクーペです。 どうしてもスパイダーの方に目が行きがちですが社内デザインと言われるクーペもこうして新旧2台並んで見ると中々スタイリッシュでしょう。60年代半ば戦後ようやく復興して少しづつ余裕の出てきたイタリアのヤングファミリーが後席に子供を放りこんでドライブに出かける光景が目に浮かぶようです。この初期型のオーナーS氏、SHCCジムカーナのお立ち台目指してどうやら心臓移植を目論んでおられるようで今回も903ccのxxxはどうなっているのかと偵察に(??)見えたようです。またまた強力なライバルが現れそうでFIAT850での1-2フィニッシュを目指して頑張りましょう。最後に落ちを一つ、この写真を撮ろうと白いクーペのエンジンをかけようとしたらなんとクラッチが貼りついているではありませんか。これはこの車の持病の様なもので治療法はいたって簡単、後ろに何もない事を確認してギアをバックに入れたままエンジンをかければたいていエンジンがかかった瞬間に剥がれます。
2010年7月12日月曜日
JCCAの筑波ミーティングに出店して来ました
先週の日曜日(7月11日)、筑波サーキットで行われたJCCAクラシックカーフェスティバル筑波ミーティングのスワップショップに出店して来ました。筑波のクラシックカーフェスティバルは80年代初期の旧TACS時代には自分のFIAT850で何度か走ったりその後仕事で2輪のレースサービスをしている頃には毎年全日本のロードレースのサポートに訪れたのですが今回は10数年ぶり、道もすっかり忘れていて地図を片手に出かけましたが首都高の新しく開通したC2環状線の威力は素晴らしく、中井町の我が家からなんと2時間を少し切る時間でサーキットに到着、昔を知る者にとっては感激ものでした。梅雨の最中とあって雨を心配しましたがそこは日頃の行いの良い(?)FIATおじさん、何とかイベント終了まで雨の神に待ってもらうよう交渉に成功、商品を片付けて車に積み込むと同時に雨だれが落ちてきました。 肝心の売り上げはマアマアといったところでしたがこの日の最大の収穫は久しぶりに鈴木昭吾元会長にお目にかかれたこと。 我々が今こうして古い車のイベントを気軽に楽しめるのも70年代にこの方の素晴らしい御活躍があったからこそ、御年89歳になられるそうですがご本人曰く、”私はまだほんの89歳、この先少なくとも10年は古い車を楽しみます”、写真はあまり好きでない私も思わずお願いをして一緒に撮ってもらいました。人生これから、若輩者の私もがんばりまーす!!
2010年7月7日水曜日
クライスラーフルサイズカーの思い出
最新の自動車雑誌でアルファジュリエッタの試乗記を読んでいたらこのプラットフォームが将来クライスラー社のコンパクトカーにも使われる予定--- とありました。 そうかクライスラーは今やFIATグループの一員なのですね、ということは過去10年以上にわたって足としてクライスラーのフルサイズを3台乗り継いだクライスラーファンのFIATおじさんにはうれしい事です。 そんな訳で今日はここ10年余りのクライスラーフルサイズカーの思い出を書いてみたいと思います。
1台目はクライスラーが経営的に苦しく(苦しい時は何度もありましたが)新車の開発もままならなかった時期LH(Last Hope と揶揄されました)として発表されたイーグルヴィジョン、日本にはこのモデルがクライスラーヴィジョンとして導入されました。3.5L V6エンジンで非常にスタイリッシュですが乗ってみると古いアメリカンフルサイズカーのフィーリングが強く残る車でした。ボディ剛性など議論以前の段階でしたが本来想定された使い方をする限り何の問題もありません。結局この車には5年半、26万KM(!!)乗りました。 ノートラブルですが8万KM当たりでエンジンの異音がしディーラーでクレームでブロック交換をしています。次が300M、LHの成功で一息ついたクライスラーが渾身の力を込めて開発したモデルです。 エンジンは同じくV6 3.5L、室内とトランクは圧倒的に広く素晴らしい車でした。3代のフルサイズカーの中ではこのモデルがベストで今でも程度の良い中古車があればと真剣に思っています。 この車には5年23万KMあまり乗りました。途中16万KMあたりでオートマがダウンし修理に50万ほどかかりましたがそれ以外はノートラブルでした。 初代、2代目共にクライスラージャパンを通じて正規輸入されましたが期待に反して全く売れず町で出会うとお互いが振り返って会釈するほど、たぶん総輸入台数はそれぞれ3ケタのごく下の方だったと思います。
最後が現役の300Cです。 足回りはメルセデスEクラスの構成部品が流用されているとか、最新のテクノロジーが投入されているそうですが室内もトランクも先代に比べ大幅に狭くなりその押し出しの強いスタイルも含めてあまり好きになれませんでした。ただしどうやら世の中の常識と違っているのは当方らしく本国はもちろん日本でも販売は好調でクライスラーフルサイズとしては初めての日本における成功作となりました。この車は結局1年余り4万KM弱の走行距離でもちろんノートラブルでした。 最後に300Cの名誉の為に付け加えるとアメリカの砂漠でみる300Cは本当にかっこいいと思います。 さしもに押し出しの強いデザインも広いアメリカでは何の違和感もなくましてや砂漠の一本道ではるか彼方からこの車がライトを点灯して走ってくると本当にカッコよいのです。やはり自動車のデザインはその車が生まれた環境を無視しては語れないものなのでしょう。
次のFIAT、アルファ、クライスラー合作車が魅力あふれる車であることを念じています。
2010年7月4日日曜日
4th of July に思う
今日はアメリカ合衆国の独立記念日、4th of July です。 毎年この日がめぐってくる度に32年前、初めてアメリカの土を踏んで一人で過ごした7月4日のことを思い出します。 1978年、ベトナム戦争に疲れ、わが世の春を謳歌した60年代の繁栄にうす雲がかかり始めた頃、それでも当時の日本とは比べ物にならない大らかで豊かなアメリカがまだありました。アメリカの会社に職を得て研修の為初めての本社出社の日、迎えに来てくれたVPのクライスラーニューヨーカーの広大なボンネットのはるか先にゆったりと揺れるオーナメントの輝きは今も忘れません(当時最上級のインペリアルのブランドは既になくニューヨーカーがクライスラーグループの最高級車でした)。6月中旬から7月20日ごろまで約35日間オハイオ州トレドという町に滞在し、その間に7月4日の独立記念日がありました。ホテルの客はほとんどなくがらんとしたレストランでウエートレスに下手な英語で Happy Independent Day !! とお祝いの言葉をかけたのを覚えています。あれから32年、時は移りて最近のアメリカの大都市のドライビングマナーの低下は目を覆うばかりです。道を間違えて割り込みをしても笑顔で譲ってくれたあの大らかなアメリカはどこに行ってしまったのでしょう?今でも大好きなアメリカ、 今では思い立ったらいつでも出かけられますがひょっとしたら アメリカのテレビドラマに胸をときめかしアメリカ旅行など夢のまた夢であったあの頃の方が幸せだったのではないかな--- などと思ってしまいました。
懐かしい写真を少しご紹介しましょう(全部解ったあなたは相当アメリカかぶれです)
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