2枚目の写真は会場で見つけた珍車、オリジナルのルーチェロータリークーペと思う(違っていたらごめんなさい)。当時ベルトーネがデザインした車で日本のメーカーがこぞってイタリアンデザインに走った時代のマツダの回答である。ちなみに他のメーカーはというと公式に認めている場合とそうでない場合があるようだが日産はピニンファリーナ、いすゞはギア、日野はミケロッティ、ダイハツはヴィニャーレ、プリンスはスカリオーネ、といった具合でトヨタを除く主要メーカーすべてがなんらかの形で
イタリアのカロッチェリアと関係を持って
いたことになる。中でも傑作はご存知117クーペ、量産化には至らなかったがコンテッサスプリント、そしてこのルーチェロータリークーペではなかろうか? 当時の日本メーカーとイタリアカロッチェリアの力の差を改めて感じる。3枚目は会場の一角、佐原画伯のギャラリー。古き良きアメリカの自動車シーンを描くトップアーティストで年が近いこともあって昔からの熱烈なファンである。
常々思っていることだがこうしたシーンから受ける感激、あるいはそうしたシーンを捉える感性は多少の差はあれ多くの人が同じではないかと思う。だからこそこうした絵を見たときに多くのファンが感激する訳だが問題はその感激を水彩であれコンピューターであれキャンバスの上に再現できる技術でこれこそが芸術家としての才能、力量ではなかろうか。私も御多分に洩れず学生時代はテスト用紙の裏側を車の絵で埋め尽くしイラストレータの真似事をしてみた時代もあったが感激を再現する才能は全くなかったようでもっぱらこうした才能に恵まれた方の絵を拝見して感激する側に回っている。
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